バーラタ(インド)では人生は4つの時期に分かれるとされます。学生期、家長期、林住期、遊行期です。概ね25年ごとだと聞いたことがあります。私がこれまで生きてきて感じるのは、人生の転機に思春期と思秋期が重要そうだということです。思春期は子どもから大人になる時期で、思秋期は大人(中年期)から初老期に入る時期です。思春期、思秋期ともに肉体・精神の変化が見られます。私は思秋期かもう少ししてそこを抜けるくらいの年齢です。
私は結婚して家庭を築くことがなかったので、ある意味家長期というものがなく、また30歳以降家の敷地内をシカやイノシシが自由に歩き回るようなところに住んでいて、さらに霊性に関する事柄に取り組んできたということもあり、学生期から少し間をおいて林住期へと人生のステージが移動したところがあります。林住期に関しては少しだけこのブログに書いたことがあります。30年弱を学生期のようなニュアンスで過ごし、30年弱を林住期のようなニュアンスで過ごしていたのかもしれません。そして今再び人生の区切りを感じています。目の前にあるのは遊行期を意識した人生です。私の場合は思春期の区切りと思秋期の区切りが、学生期と林住期、林住期と遊行期の区切りにほぼ対応しています。
林住期、遊行期という概念はバーラタ(インド)のもので、私はそれらを厳密に生きることはできません。それらの概念からニュアンス、エッセンスを学び、現代日本に生きる参考にしている程度です。遊行期とは所有物をもたずに各地を遊行するような生活で、食事などは乞うて与えられたもので生きていきます。修行僧のような生活です。それを実際にすることは現代日本では困難で、私もそれに取り組むつもりはありません。ただ執着を減らすように試みたり、満足を徹底したりすることに注力したいのです。また、私は山歩きをすることがありますが、山歩きだけでなく歩くことそのものが好きです。日本一周とはいわないまでも、自県や隣県を歩いて一周したりしてみたいと思うことはあります。私が住んでいる近くだと、国東半島のロングトレイルや萩往還道などがあり、こういうところにも関心はあります。私はよその土地に行ったとき、その土地の空気が自分が住んでいる土地の空気と異なるのを感じます。空気にはそこに住む人の想念が入り混じっていると思いますが、その土地の空気を吸うとその土地の人のありようが心に伝わってくるような気がします。それが好きです。その土地の空気を吸い、私の息を吐き、そのこと自体がその土地との交わりであると思っています。
私は30年近く前に生活に大きな変化があったのですが、今も大きく生活が変化しうるようなところはあります。大きな変化は1日1か月で達成できないので、さまざまな力のバランスに配慮しながら方向転換をしていかなくてはなりません。何(what)をするかという問いと、どのような(how)態度で人生を送るかという問いがあるでしょう。人生の終章に向かって何をしておきたいというのは私にもあります。たとえばそういうのは天職(calling)とかいうものではあります。一方で林住期と遊行期の違いを考えたとき、どのような態度で生きるかということは結構重要に思います。私の人生は、それなりに健康に気を配り、主の御加護があれば90歳くらいまであるかもしれません。残り約35年です。少しばかりの仕事はできるでしょうし、また悪癖の一つくらいはかなり低減させることができ、カルマも減らせる可能性はあります。知的な面においてもこれまでとはまた一つ段階の異なることに目がいっています。35年あればもうほんの少しのことはできそうです。今がその転換点です。ジャンプするには少しばかりしゃがみこまなくてはなりません。
アイデアはあるのです。しかしなかなか計画が立たないというか目の前に少しばかり断絶があるような気がしていて、おそらくそういう時は私の想定を超えた計画が準備されている可能性があります。彼(私の主)が計画を準備しているかもしれません。私にはそれが具体的にどういうものなのかはわからないので、それにどう手を付けたらいいのか手間取ってはいますが、おそらくは「彼の仕事(奉仕)をするのに高い安いはない」と私のバーラタ(インド)の知人はいっていましたので、それが彼の仕事(奉仕)であるのならばお金を勘定に入れずに始めて見るのがいいのだと思います。私が自分に課すべきは、それが彼の仕事であるように可能な限り誠実であることでしょう。
ときどきですが、おそらく今後遊行期に関して書くことがあるでしょうから、今回は表題に1をつけておきました。