愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

存在と記号

 

前々回内なる空間について触れ、そこで自己同一化に触れたエンデの言葉を紹介しました。そこでエンデは自己同一化といっていますが、心理学的に見てこれが投影とどう異なるのか厳密なところは私にはよくわかりません。もしかしたら自己同一化はそのことに対する意識があり、投影は無意識であって他者と自己の混同があるのかもしれません。そのあたりに関する疑問が自分ながら思い浮かんだのですが、詳しく知りたい方は適切な心理学の本を探されるのがいいと思います。

 

さて、内なる空間=空所に関してもう少し述べておくつもりです。この内なる空間の開発は意識の浄化といっていいものですが、一般に霊性修行(サーダナ)と呼ばれるものの目的がこの意識の浄化です。また思いと言葉と行為を調和させるよう努力する時、それらは論理的厳密さをもって一致するというよりも、音楽における和音のような意味での調和であるでしょう。この思いと言葉と行為はカテゴリーが異なっていて、たとえるならば、床と壁と天井のようなものです。これらが調和する時、そこには「空間」が確保されます。シャベルで地面を掘ると空間ができるに似て、ごくごく小さなことでも思いと言葉と行為を一致あるいは調和させるように試みていると、心の内に空間が少しずつ確保されていきます。そして思いと言葉と行為によって確保された領域が人間存在を真に支える役割を担います。この一連の作業は人を少しずつ健康にしていきます。

 

この作業が長期間にわたって続けられると、心の中=内側に何もなくなってきます。少なくとも思いは減っていきます。人間は体と心とアートマの組み合わせですが、心がなくなってくると、あとに残るのは体とアートマです。そしてそのとき、体は単なる仮面あるいは文楽に似た操り人形のようなものになります。つまり一つの記号です。人間は目に見えないアートマにシールが貼られたものに他なりません。あるいは幽霊にたとえられるでしょうか?アートマが存在でシール=体が記号です。

 

先週も取り上げましたが、チャマカムというマントラがあります。これは人間が願うべき一連のもので構成されているマントラです。人間の構成要素の全体を示しています。その最後のあたりで、「1を与えて下さい、3を与えて下さい、5を与えて下さい、7を与えて下さい、9を与えて下さい、11を与えて下さい、…、4を与えて下さい、8を与えて下さい、…」と数字の羅列が続きます。インドでは1にも3にも4にもそれぞれの数字にはそれなりの文化的意味があるらしく、その文化的意味が指し示しているものを与えて下さいという祈りであるという解釈がとられています。しかしながら、インドの文化的伝統をよく知らない私からしたら、1、3、5、…、4、8、…等の数字は記号の最たるものでして、つまりは私には「私を記号にして下さい」という祈りに聞こえるのです。各人間は一つの記号になることで人生を成就するのかもしれないと、このマントラを唱えていてしばしば感じます。

 

記号はデザイン=design=de+signでもあり、つまり引き算によって記号となるものでして、心を取り除くことで人間は記号あるいは象徴となり人生を終えるのでしょう。記念コインを集めるのが好きな人がいますが、神様も密かに人間が記号=象徴となったところのその象徴を集めて楽しんでいるのかもしれません。