人生の目的2

 

私のブログを検索していただければわかりますが、私は部分的にですが「人生の目的」について何度も書いてきました。ただ「人生の目的」の表題のもとブログを書くのはちょうど10年ぶりです。ちょうど10年前の2012年5月30日に記事を掲載したようです。

aitasaka.hatenablog.com


人生の目的について特に新たに付け加えることはないのですが、少しばかり今までとは異なった観点から人生の目的の必要性について考察してみたいと思いました。

 

私のツイートですが、最近次のようなツイートをしました。
「戦略の欠如を戦術で補うことはできない、と誰かがいっていたけど、人生に目的がないということは戦略の欠如で、一生懸命何かに取り組むということは戦術であって、つまり一生懸命何かに取り組んでも人生の目的がなければ不完全だということがいえます。」
「戦略の欠如を戦術で補うことはできない」との言葉は誰のものかはっきり記憶がないのですが、これは戦前の日本軍の分析をもとに述べられたコメントだったような気がしています。旧日本軍は太平洋戦争において適切な戦略もないまま多くの日本人と他国の人を犠牲にしましたが、それへの反省がもとにあります。この言葉はもしかしたら上野千鶴子氏が紹介していたのを目にしたのかもしれませんが、まったく確かかどうかわかりません。戦前の日本軍に限らず、失われた30年ともいえそうなこの30年間、バブル崩壊によって国の目標、目的を見失い、もしかしたら戦術といえるものはあったかもしれませんが、確かな国家戦略なしに過ごした30年間だったのではないかという気もします。この2年間のコロナ対策にしても、何をゴールと政府がみなしているのか私にはまったく伝わってきません。戦略の欠如は他の何ものによっても補うことができないもので、太平洋戦争時もそうでしたが、国民の多くのリソース(資源)が適切に活用されてこなかった、努力が正しい方向へと向けられなかったという気がしています。それほどに戦略というものは重要です。

 

私なりの見解ですが、ここで少し戦略と戦術というものについて説明しておきましょう。私の一般的な理解ですが、戦略、戦術という言葉は戦争において用いられるだけでなく、今では企業経営においてもよく用いられているようです。しかし企業経営だけに限りません。戦略は一般にある目的を達成するために、あらかじめさまざまな問題点や課題を抽出し、それらをどう乗り越えていくかというようなことを描いた全体の見取り図、計画のことです。戦術とは、戦略の実行においてさまざまな局面に直面しますが、その個々の局面において具体的にどう課題を解決していくかということです。私の知人が戦略と戦術の違いについて、大雑把ですが、戦略は目的に関係することで、戦術は手段に関係することだと述べていました。

 

私は「人生に目的がないということは戦略の欠如で、一生懸命何かに取り組むということは戦術であって、つまり一生懸命何かに取り組んでも人生の目的がなければ不完全だということがいえます。」と書きましたが、では人生の目的は何だろうかということです。少し前に『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)という本が話題に上がりました。この本は古くから読まれているもので、長年にわたって人生の目的について人々が悩んでいることがうかがえます。私はこの本を読んだ記憶がないのですが、この本を読む人の気持ちはわかります。

 

私が受け入れている人生の目的はインドでいわれてきているように、「ダルマ(正しい倫理的行動)、アルタ(富を求めること)、カーマ(欲望、特に子孫をもうけること)、モクシャ(解脱)」です。人間が人間の名に値するものとして、人間的行動であるダルマは必要です。富を否定する人もいますが、社会や家庭、個人が適切に機能するために富を得ることは必要です。子孫を残すことに関してもそれを人生の目的に含めて問題ないと思っています。最後が解脱です。解脱に限らず、一般に諸宗教が提示する理想的な最高のありようを目指すことといっていいでしょう。あまり深く考えることなく、私はこの4つを受け入れることができます。他にも人によっては「愛」のように少しバリエーションの異なる目的をもつこともできるます。誰にも語っていませんが、私には固有の人生の目的があります。

 

低い目的・目標は罪であるといわれますが、人生の目的を掲げるなら、一生をかけるに値する実際達成できるかどうかわからない高い目的を掲げるのがいいと思います。私はすべての人が解脱を目的に掲げてもいいと思っています。適切な手段というものがあろうかと思いますが、どんな人でもそれは達成しうると思います。まずは人生の目的を掲げて、その上で人生の諸段階において何をなせばいいのか細部を詰めるのをおすすめしたいです。