愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

思惟

 

先週はエデュケアつまり内から引き出すことについて触れました。今週は内から引き出すテクニックといっていいのでしょうか、それにまつわることを少し書こうと思います。

 

浄土真宗では正信偈という親鸞聖人が記された詩を拝読することが多くあります。これは親鸞聖人の御教えの要約のようなものにあたり、浄土真宗の御教えを知るには正信偈の内容を知るのが手っ取り早いのではないかと思います。大無量寿経の中にもあるでしょうが、正信偈の中に「五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)」という部分があります。法蔵菩薩が五劫もの長い間思惟を重ね48願を完成させたという意味です。劫はインドの時間の単位で、いろいろ説はあるようですが、その一つに「四十里四方の大きな固い岩があります。その岩の上に三年に一度、天女が舞い降りてきます。その時軽い天女の羽衣と岩がこすれて、岩の表面は減ります。そしてこの四十里四方の岩が、三年に一度の天女の羽衣との摩擦ですべてなくなってしまうまでの期間、それが一劫です。」(「正信偈もの知り帳」参照)という定義があります。ちょっと気が遠くなるような時間の長さです。五劫は劫が五つ集まったもので、それだけの長い期間にわたって法蔵菩薩は思惟し続けてきたということになります。この思惟ですが、多分思考とは意味が異なるものと思われます。私は先週漫然と頭が働いている、頭が対象についてまとわりついていると書きましたが、それは感覚としては思考というより思惟に近いものです。思考の対象をなでているのに似ているからです。

 

思考の対象を契機として意識に内在する知識、純粋な思いなどを引き出すことは、化石を掘り出すのに似て地道な作業です。少しずつ 少しずつ意識を探索します。その一歩一歩は思惟によって導かれているといっても良さそうです。ならば法蔵菩薩は五劫思惟によってエデュケア(内なる真理を引き出すこと)に携わっていたともいえます。


 Have the thaapam (the deliberation, the decision, the discipline) first, that is better than paschaath-thaapam, (regret forthe mistake made). Arjuna had thaapam, he saw the consequences even before the battle beganand wanted Krishna to advise him what to do. But, Dharmaraaja, the eldest brother, had paschaath-thaapam, sorrow after the war was over, repentence after the loss incurred. Reason out and discriminate.(Sathya Sai Baba 1968.02.11)
ターパン(熟慮、決意、規律)を最初に持ちなさい。これはパシチャートターパン(犯した失敗を後悔すること)より好ましいのです。アルジュナはターパンをもっていて、戦いが始まる前にすでに結果を見通しており、クリシュナからどうしたらいいかというアドバイスを欲しました。しかし長兄であるダルマラージャはパシチャートターパンを持っており、戦いが終わった後に悲しみ、損失を被った後に後悔していました。しっかりと思考し識別しなさい。(サティヤ・サイババ 1964.02.11)

 

この引用にターパンという言葉が出てきますが、deliberation熟慮という言葉は思惟という言葉に近いと私は思います。人には行動してから考える人と考えてから行動する人、あるいは行動しながら考える人がいるかと思いますが、私は考えてから行動する傾向の強い人間です。さまざまな用でどこかに行く際にもあらかじめ計画し、大雑把ですがどこで何をするかを決めておいてでかけます。でかけたら計画通りに淡々と行動するだけです。あらかじめ結果はほぼ見えています。結果がわかってから行動するといっていいでしょう。これはターパンといわれるものに近いと思います。法蔵菩薩は五劫も思惟し、人々を救うことが確実になってから阿弥陀仏となりました。

 

このブログで取り上げたことがあると思いますが、日本に梅路見鸞(うめじけんらん)という弓の達人が明治期でしたかいました。聞くところには、彼は矢が的にあたってから弓で矢を放ったようです。矢が的にあたってから矢を放つので百発百中です。実際にそうでした。梅路師の内面で起こっていたのもターパンや思惟に似たプロセスではないかと思います。世の中には未来が決まってから行動する人がいるのです。

 

エデュケアは知識を引き出すだけではありません。霊性の見解では内にすべてがあるのですから、自分の運命や未来もそこにあります。アルジュナや梅路師のように未来を引き出してくること=未来を確実にして行動に移すことも一つのエデュケアです。私はアルジュナや梅路師のような達人ではありませんが、日常的に似たプロセスを通じて日々生きているところがあります。つまりエデュケア=思惟=ターパンの類です。ある種の完全性や完璧性とも関わるのかもしれませんが、こういう生き方はおもしろいと思うので、可能なら試行錯誤しながら試みてみるといいと思います。