Value your gifts(贈り物に価値を与える)

表題である「Value your gifts(贈り物に価値を与える)」は私の師の言葉か師の御教えに従っている人の言葉か忘れましたが、師にまつわる文献を読んでいて目にした言葉です。私たちは多くの贈り物を得ていますが、それらに価値を与えなさいということです。

 

もしかしたら私は特に贈り物をいただいていないよという人もいるかも知れません。正確に記憶しているわけではありませんが、こんな話があります。

 

ー ある物乞いがある人から「一財産(1億円くらい!?)あげるのであなたのもっているものと交換したい」といわれました。物乞いは「私は何ももっていませんけれども、もっているものは何でもあげますよ。」と答えました。それに対してある人は「それでは、一財産をあげるので、その代わりにあなたの目をいただきましょう」といいました。それを聞いた物乞いは飛び上がって驚き、「目がなくなればいくら大きな財産をもらってもどうしようもない。この取引はなかったことにしよう。」と慌てて答えました。そうです。私たちは神様から目や耳や手足などをいただいているのです。 ー

 

そうです。目や耳や手足があるのをあまりに当たり前と思っていますが、これらはみな神様からの贈り物です。太陽の光は海に降り注ぎ、水蒸気が雲となって飲水が大地に運ばれますが、これも自然、神からのいただきものです。もし空気がなければ人類はほんの数分で死に絶えてしまうでしょう。空気も贈り物です。そのつもりがなくても、野鳥たちは美しい歌声で私たちを楽しませてくれています。これも贈り物です。ただで得られているがゆえに、私たちは贈り物を何も受け取っていないように感じていますが、そうではありません。お中元やお歳暮をもらうこと、食事を少しばかりおごってもらうこと、ちょっとした機会に親しい人から物をいただくことだけが贈り物なのではありません。このような理解がまずは必要です。

 

次にこれらの贈り物、いただきものに価値を与えなければなりません。人間には体と心がありますが、体はなすべきことをなすために用い、心も適切な状態に保って、思考したり識別したり体に指示を出さなければなりません。鍋をいただいてそれを用いずしまい込んでいることがもったいないように、体も心も適切に用いなければ無駄にしていることに等しいといえます。金や宝石の原石が適切に形作られて価値をもつように、人間の体と心も適切な訓練によって適切な機能を果たすことが求められます。

 

身の回りには多くのものがあります。食材を買い込んだならば、それを調理して食べてこそ食材は価値を得たといえます。くさらせて捨ててしまえば、その食材は価値を得ることができなかったといえます。衣服も買ったならばきちんと袖を通して着なければなりません。買ったはいいものの一度も袖を通さずに何年か後に捨ててしまったならば、その衣服は価値を与えられなかったといえます。どんなものでもそうです。買ったりあるいは作ったものはその用途に従って用い、そうして初めてそのものに価値が与えられます。本を読んで得た知識もそれを用いて初めて価値が与えられます。ただ読んでそのうち忘れるだけなら本を読んだ時間もその本を買ったお金も無駄になります。いえ、きれいサッパリ忘れてしまえるならまだいいでしょう。活用されなかった知識は多かれ少なかれ心を騒がせる源となる可能性があります。

 

「価値」という言葉は現代におけるキーワードの一つだと思います。それに見合った値があるということです。この世に無意味なもの、価値のないものはないといわれます。たとえば自然界において私たちが害虫と呼ぶものは必ずしも生態系の中で害虫なわけではなく、一定の役割を果たしています。ほんの石ころ一つであっても私たちの狭い視野では価値がないように見えても、実際のところはわかりません。私たちの生活で生じるいわゆるゴミもそうです。資源ごみは分別し役立てられますが、今は燃えるゴミも燃やす過程で生じる熱がいろいろと活用されているようです。「価値」とはそのもの、あるいは人が本来のふさわしい場所におかれ機能していることなのでしょう。ジグソーパズルの一つ一つのピースのように。

 

身の回りのありとあらゆるものに価値を与え続けることは、かなり大変なことです。もし本当に自らの心身の機能に加え身の回りのものに価値を与え続けようと思えば、実際のところ、私たちは多くのものを所有することはできないでしょう。必要なものに上限が自然と与えられます。また価値を与え続けることができるならば、その余剰分が他者へ分け与えられ、それが一つの経済の好サイクルになるでしょう。

 

私は日本人らしいというか、もったいない精神が少しばかり身にしみているので、できるだけ身の回りのものを大切にしようとしますし、物もそれほど買わないようにはしているのですが、悲しいことにそれでも生活に無駄が生じています。今一つのゲームとしてValue your giftsという考え方はありだと思います。もしかしたらその結果日本経済の大きな発展につながるやもしれません。