愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

遊行(ゆぎょう)

 

私はかつて林住期について書いたことがあります(下のブログ記事)。インドでは人生を4つの時期に分けます。学生期、家長期、林住期、遊行期です。大体25年毎に区分けされています。私は50歳を少し過ぎた年なので、今林住期を意識して過ごすことが多いです。遊行期については70歳を過ぎて考えても遅くはないのですが、最近遊行について考える機会がありました。今日はこの遊行について書いてみるつもりです。

aitasaka.hatenablog.com

 

遊行の意味をウィキペディアで調べれば「遊行(ゆぎょう)とは、仏教の僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くこと。空海行基空也、一遍などがその典型的な例である。」とあります。私がまず思い浮かべるのは浄土系の一遍上人です。盆踊りの起源とされる踊り念仏で有名な方ですが、南無阿弥陀仏の名号を唱えながら全国各地を巡り歩かれたと聞いています。弘法大師の伝説も全国各地にあるようで、四国八十八ヶ所などはそれに関係していると聞きます。松尾芭蕉は仏法者としてではないでしょうが、旅行でもありまたある種の遊行をされた方でもあります。近代では種田山頭火などもいます。

 

私の手元にある『神問神答』という本では遊行について次のように書かれています。「サンニャーサ(遊行者)は人ごみの中では生活しません。それがどれほどわずかであろうとも、得られた食物だけで生活します。食物が得られなかった場所を非難することはありません。同じ場所では二度と食べず、同じ場所で二晩続けて寝ることはありません。サンニャーサは眠ることと食べることへの誘惑さえも克服します。季節の厳しさもほとんど気に留めることはありません。サンニャーサはディヤーナ(瞑想)によって呼び出す神と共にあり、いつも喜びに満ち、幸せです。」(p30)このような態度で各地を遊行する者がインドでは遊行者とされます。食物は托鉢というか市井の方々からの施しで得ているのでしょうし、寝る場所も屋根があるとは限りません。見方によっては日本のホームレスの方の生活を思い浮かべなくもないですが、遊行の動機は感覚的、物質的な欲望の克服にあり、死において絶対者に融合する直前のあり様として遊行が規定されています。

 

私は山歩きを少しばかりしますので、山の中に庵というか修行をするための建物があちこちにあることを知っています。ただし現在はそれらのほとんどは使われておらず朽ちていますけれども。林住は正確にはそれらの山の中の庵などで生活することでしょうが、山の中で生活せずとも自然環境が豊かで人の少ない僻地で生活することも林住期の一つ過ごし方だと思っています。それと同じように遊行は正確には今日の食事や住処のあてのない中各地を巡り歩くことなのでしょうが、例えば各地を巡り歩きつつもお寺のネットワークを活用して食事と寝床を確保することも遊行のようなものとしていいでしょう。最近は見かけませんが、20年前は街角でお経を唱えながら托鉢をされていた(遠方からきた)真言宗の僧侶の方をしばしば見かけました。50年100年前あるいは江戸時代などにはもっと遊行されている方は多かったかもしれません。

 

現時点では一般人が遊行をするのは不可能ではなくとも困難でしょう。地方によっては冬の寒さが厳しいです。托鉢したとして一般家庭の人がそれを理解して食物を提供してくれることはどのくらいあるのでしょうか?寝床を提供されることも少ないでしょうし、野宿を続けるのも厳しいものがあります。私などは健康の問題を抱えているので、長く続かないだろうことは目に見えています。このようなことを考えれば、インドには貴重な文化が残っているといえます。

 

少しばかりお金を使っていいとなれば、少しは遊行に似たことはできます。実は今日遊行について書こうと思ったのは、AirBnB社の資料を見たのがきっかけです。その資料によれば、今世界で旅行革命のようなものが起こっているらしいのです。これまでは定住と旅行とに分かれていたのですが、今は定住と旅行の間の一時的な滞在というものが世界の多くの人に受け入れられつつあるらしいのです。ワーケーションやリモートワークが可能になり、それはどんな辺鄙なところでも宿泊するところが確保できるようになってきたからです。AirBnB社のサービスを使えば、ユースホステルやゲストハウス、普通の旅館・ホテルのないようなどんなところでも一時的な滞在が可能になります。AirBnB社のサービスは本来遊行のためのものではないでしょうが、日本各地を経めぐりながら、時には野宿をし、時には家屋の中で睡眠をとるような生活はできそうです。

 

私は今山や平地を歩いているときにしばしばマントラを唱えています。プチ遊行のようなものです。体力の制限があるとしてもそもそも歩くことが好きです。完全なる遊行はできずとも、何日か単位くらいならそれらしいことはできるかもしれません。とはいっても可能ならば、お寺のネットワークのようなものもあったらいいなと思います。遊行が盛んになればおもしろいといえばおもしろいと思うのですよね。