愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

ニュートンとアインシュタイン

 

科学において著名な両者ですが、今現在一般にはアインシュタインの方が人気かもしれません。そしてより優れた業績を残したのはアインシュタイの方だと考えている人もいるでしょう。アインシュタインは天才でかつ叡智の人です。科学者であるということと叡智の人であるということはまれな組み合わせで、それに加えて超一級の業績を残しているのですから、私などがアインシュタインについて触れるのもおこがましいところはあります。しかしながら、ある視点から見ればアインシュタインよりもニュートンのほうが偉大なのです。まずはそれについて書いておきます。これは私が学生の頃つまり30年前にはすでに知られていたことであり、特に目新しい視点ではありません。

 

ニュートンの力学はユークリッド幾何学を前提としており、一方アインシュタイン相対性理論は非ユークリッド幾何学を前提としています。アインシュタインが若い頃、当時の物理学(ニュートン力学を前提とした物理学)は壁にぶち当たっており、それをどう発展的に乗り越えていくかが課題でした。アインシュタインはその課題に取り組んでいたのですが、彼はよくいわれるように思考実験を通して課題をさまざまな角度から検討していました。彼は曲がった空間を想像したり、光の速度で移動する物体を想像したりしましたが、実はその当時曲がった空間を記述する非ユークリッド幾何学は数学者たちがすでに作り上げていました。アインシュタインは数学を理解する能力も優れていましたので、自らの理論を記述するのに非ユークリッド幾何学が適切であると見抜き、それによって相対性理論を作り上げることができました。曲がった空間という概念自体はアインシュタインの創作ではなく彼以前の数学者たちの作り上げた概念でした。

 

一方ニュートンアインシュタインと同じように当時のさまざまな観測結果を元にそれらを統一的に記述できる理論を求めていました。彼も思考実験を繰り返したことでしょう。彼が不確かな点を確かなものにするためにアフリカまで観測をしに行った協力者がいたとも聞きました。彼が引用したので有名になりましたが、「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。-ニュートン (シャルトルのベルナール)」という言葉は彼の実感がこもった言葉です。多くの人々の支えや先人たちの業績がニュートンの仕事をもたらしました。しかしながら、ニュートンアインシュタインよりも偉大であったのは、アインシュタインは非ユークリッド幾何学を作り出したのではないのに対して、ニュートン微分積分学を自ら作り出し、それを用いてニュートン力学を打ち立てた点です。つまりアインシュタインは物理学における巨人でしたが、ニュートンは数学と物理学の両方において巨人であったのであり、この観点から見た場合、ニュートンのほうがアインシュタインよりも偉大であったのです。さらに付け加えるならば、伝記学者によればアインシュタインよりもニュートンの方が遥かに孤独であったといいます。一般に理解者が少ないほど孤独であると思います。

 

さて話は少し変わります。ギリシャ以降のヨーロッパの認識論に関してです。認識論とは何が真実であるか、人はどのような枠組みで真実を把握するのか等に関する哲学です。近代ヨーロッパ哲学の巨人にカントがいます。彼も認識論を残しています。私は素人なので大雑把なことしか書けませんが、彼の認識論とは想像と概念と現象の一致が真実であるというものです。彼はユークリッド幾何学は妥当なものの見方であると述べているようです。しかし後のアインシュタイン相対性理論のため、つまり空間が曲がっているのが妥当そうであるため、カントの認識論は間違いであり取り上げるに値しないという人々があらわれてきたようです。認識論は再び袋小路に入り込みます。

 

しかしながら時代考証を行った人によれば、カントの時代にすでに非ユークリッド幾何学はできあがっており、カントが認識論を書き上げる時点ですでに彼が非ユークリッド幾何学を知っていた可能性があることがわかってきました。カントは数学を理解する人であったようで、つまり彼がすでに非ユークリッド幾何学ユークリッド幾何学を用いて理論構成されていることを知っていたならば、カントがユークリッド幾何学を妥当だと述べたことは無知や予断によるものではなく確固たる確信であっただろうわけです。ニュートンの世界では世界全体がユークリッド的なのですが、アインシュタイの世界では局所的にはどこでもユークリッド的でしかし全体としては非ユークリッド的であっただけの話です。このあたりの考証を行ったのは私の知る限りでは柄谷行人氏であり、つまりはギリシャ以降のヨーロッパの認識論に決着を付けた、つまりカントの認識論が正しかったと結論づけたのはヨーロッパ人ではなく日本人であったのです。

 

偶然か必然かはわかりませんが、20世紀末以降数学が世界を席巻し今ではSTEM教育について世界中で聞かれるようになってきました。STEMとはScience, Technology, Engineering and Mathematicsの頭文字からきています。カントの認識論と数学の有用性さらには科学的思考は関係が深いのです。プログラミングもそうでしょう。このあたりのことを世界中の国が理解していると思いますが、認識論に日本人が決着を付けただろうにも関わらず、日本はカントの認識論やSTEM教育に関して理解が足りません。それは一つの悲劇でありまた喜劇なのかもしれません。

 

科学とは数学あるいはそれに類した認識形式を通じて世界を見ることであり、そのあたりのことが理解できない限り、アインシュタインが神秘的に思えたりあるいは科学をもたらしたヨーロッパ人に対する無意識の畏怖を取り除くことはできません。現代日本人が科学的思考あるいは思考一般に困難を抱えている原因の一つはここにあるはずです。