愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

内向について(一つの光明瞑想論)

 

私は内向的な人間です。必ずしも宗教的な人間ではありません。内向的であるとわずかばかりは宗教が理解できたような気になるのです。内向性という尺度を考えた時、私の偏差値は70はあるのではないかと思います。偏差値70は上位2%です。100人ほど任意で選んだ時、私は1番か2番目に内向的な人間ではないかと思うほどです。

 

日本に限らず現代においては内向的な人間は多少なりとも肩身の狭い思いをすることがあると思います。積極的な人、外向的な人のほうが静かな人、内向的な人より普通に目立ちますし、メディアに登場するのは外向的な人がほとんどですから。実際のところ、世の中を調べた時に内向的な人と外向的な人がどのくらいの割合なのか私は知らないのですが、内向的な人は目立ちませんが結構いるような気はします。ただし創造的な仕事をする人に内向的な人は多いとは聞きます。有名な人にはビル・ゲイツ氏やバフェット氏がいます。アインシュタインも内向的な人でした。

 

最近Twitterで面白いツイートを見かけました。次のようなものです。
加藤典洋の説だと本居宣長は内在を極めすぎて狂気に至り、関係の視点から普遍へと至らなかった。私も44年間、内在を突き詰めてきましたが、その結果、社会に寄与したいという思いは生まれなかったなぁ。でも内在の帰結としてそこに至った人は素晴らしいと思う。」(角幡唯介

 

内向的な人でなければ内在に意識的な関心を持つ人はいないでしょう。私の場合「社会に寄与したいという思い」は内向、内在の探求とは関係なく幼い頃からあったので、内在の探求によって社会への寄与を目指すというような目論見を抱いたことがないのですが、内在の探求が関係における自覚をもたらすかどうかということは有意義な検討課題に思います。私個人に関していえば、目の前に苦しんでいる人を見れば、私も辛いのでその人に手を差し伸べようとするのはごく当たり前のことで、私はそういうケースと日常的に接するある種の義務的な人間関係以外に不必要な社会関係をもとうという意欲がわかないので、関係については多くを述べる立場にはなさそうです。しかし「内向-関係-普遍」ということに関して一つの光明瞑想論として述べることはできます。

 

光明瞑想論といっても、その骨格は私の師や光明瞑想の実践者たちによって語られてきたことで、私はそれに個人的な経験を少しばかり付け加えるだけのことです。なので光明瞑想の切り口を変えた一つの紹介です。集中-黙想-瞑想があるとされます。集中は目に見えるこの世界、知覚できる範囲内での活動に必要とされるものです。気が散って上の空の状態では活動ができません。何をするにも集中力が必要です。黙想と瞑想は目を閉じた領域における活動・状態です。感覚器官による知覚はありません。音が聞こえたりしますが、そういうものから距離をとった活動です。黙想は目を閉じた状態で、自分の手足や舌・耳・目などの感覚器官に光と意識をめぐらします。縁のある人々を思い浮かべてそれらの人たちを光で包みます。これらは心の活動です。感覚器官による知覚ではなく、感覚器官の経験に基づいた想像であり意識の活動です。これは内向の状態であり、関係の意識化です。瞑想はさらに内向していきます。瞑想は黙想状態での心の活動を手放し光だけになります。光(だけ)を意識する状態はまだ黙想の段階といえるかもしれませんが、光と自らが一つになって瞑想しているという意識がなくなった時に人は真に瞑想状態にたどりつきます。その時はただ一つのものしかありません。それは普遍です。このように光明瞑想には「内向-関係-普遍」があります。

 

私が聞いたことがあるのはバラの例えです。集中とはバラを見ることです。バラには花の他に葉や棘、茎があります。黙想は棘や葉を避けて花だけを摘むことです。光明瞑想における黙想段階では自らの人生のエッセンスだけを思い浮かべていますが、それはバラの花を摘むに似ています。瞑想とはそのバラの花を神に捧げて忘却することです。心の活動を忘却した時、神だけが残っているとされます。光と一体になっている状態がそれです。光明瞑想においては、舌を光で満たしながら優しく語ることを自分に言い聞かせます。身近な人を光で包みながら愛をもって接するように自分に言い聞かせています。座した状態での光明瞑想が終わって生活の現場に戻った時にそれら(優しく語ったり、人に愛をもって接すること)を実際に神への捧げものとして実践すること(更にはそれらを忘却すること)、それは光明瞑想の応用ですが、それを日々続けていくことで人は神だけに満たされた状態に至るとされます。これらはすべて内向だけで完結していないでしょうか?つまりこれは霊性なのです。

 

今日は一つの光明瞑想論を紹介しました。私の書くことは別に大したことはないので気にすることはありませんが、光明瞑想は実践して損はありません。ビル・ゲイツ氏やバフェット氏のような成功がもたらされるかどうかはわかりませんが、人生を必ずや有意義にしてくれると思っています。私がすべての人に勧めたい瞑想法です。(私のブログを光明瞑想で検索していただければいろいろ情報は出てくると思います。)