人類史・文化史の実験場

 先日新聞の書評を読んでいたら、「柳田(国男)は日本列島を、日本人というより、人類史の実験場とみなしていた」との記述が目に入りました。興味をかきたてる言葉です。これは歴史の実験に関する本を柄谷行人氏が紹介している記事中の言葉です。

 大雑把にしか理解していませんが、日本列島には、北海道の北から入ってきた人たち、朝鮮半島や中国からやってきた人たち、東南アジアからやってきた人たちの、三方面からの人の流れがあるとかつてから聞いていました。おそらくそれらの人々の間で文化や言語の違いがあって、現代の日本人は主に標準語を話し生活スタイルも似てきていますが、しかし文化の基層は古代の面影を残す部分もあるのでしょう。

 人類の祖先がアフリカ大陸から全世界に広がっていきましたが、人類の遺伝子を調べてみると、アフリカから人類が世界中に広がっていった機会は、長い歴史の中三度あることがわかったそうです。そして、その三つそれぞれの系統の遺伝子を継承する子孫すべてが共存している国は世界中で日本のみだそうです。他の国においては、おそらく争い、殺し合いによって限られた遺伝子をもつ人類の子孫だけが生き残り、現在に至っているそうです。(つまり日本人が遺伝的に最も多様ということです)

 日本列島に争いがなかったとはいいませんが、それでも世界の他の地域と比べればまだ平和共存が行われた地域といえるのでしょう。

 均質的とも時にいわれる日本社会ですが、よく観察してみれば、多様な人が多様なつながりの中で生きています。小さなグループに限れば、さまざまに特徴のある集団があります(例えばツイッターはその顕著な表れに思えます)。歴史の中において、インド文化も流れ込んできています。中国・朝鮮文化も流れ込んできています。西洋文化も流れ込んできています。アフリカや東南アジア、南米や北極圏の文化が好きな人もわずかですがいて、多少混沌とした面があります。人類史だけでなく、世界の文化史においてもかなりのものが流入しています。

 個人的には、これが日本文化であるという正統的なものは存在していないと感じています。そういう意味で日本列島は、そこに住む正統そのものが存在しない日本人の国というより、人類史、文化史における実験場と受け取ったほうが気が楽なのかもしれません。

 しかしながら、日本に正統といえるものが根付いて欲しい、というのは私の正直な気持ちではあります。