愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

一体性(unity)4

 現在の世の中には山ほど問題があっても、その解決は思うように進んでいないと思われますが、その原因を一つ挙げれといえば一体性(unity)の欠如といえるかもしれません。日本語で一体性といってもわかりにくくはあります。英語のunityでも英語になれていない身には同じくわかりにくいです。サンスクリット語で一体性を意味する語はekathwaエーカットワ(つづりは自信がありませんが、一つであること、一つ性のような意味)だとインドの人に教えてもらいました。

 孔子の言葉に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」というものがあります。私がいう一体性とはここでいう和のことです。しかしながら50年近く生きてきて、和のある組織は見たことがないに等しく、同調圧力のもと言葉は悪いですが同じてばかり、つまり仲良しごっこをしているのではないかというような組織が多いものです。同じることは一体性ではありません。皆が同じなら複数の人間がいる必要はないのです。一体性は異なる人たちによる分業が正しく行われることに近いものです。

 最近読んだものの中に、決断あるいは選択に関する示唆に富む指摘を見つけました。それによれば、人が何かを決断あるいは選択する際には、複数のアイデアを比較して論理的にどちらを選ぶか選択してはならないとのことです。そうではなく、自らの良心あるいは自信に従って決断あるいは選択しなさいとのことでした。

 良心は、特に間違いを犯しそうなときや危機的状況において、私たちに何をすべきかをささやいてくれます。危機的状況でないときは良心の声を自覚することはあまりないでしょう。それに対して、何かことを目の前にして、それに対処・対応する自信があるかどうかはいつもわかります。

 日本人は豊かな生活を長い間送ってきて今までの習慣を変えるのを恐れているのでしょうか、新しいことに果敢に挑戦することは少なく、むしろ複数のアイデアを論理的に検討するくせのある人が多いように見受けられます。こういう人が多いと、組織に和はなく同じることが重んじられます。むしろ多少の間違いが生じる可能性があっても自信のある人が自信のあることに積極的に取り組むことが許されて初めて一体性が築かれるはずなのです。

 少し苦手な虫ですが、ムカデから見習うところはあります。あれだけたくさんの足があり、それら一つ一つを別々に見ればばらばらの動きなのですが、全体として調和が取れています。ムカデがあれだけ多くの足を意図的にコントロールしようとしたら。おそらくムカデは思うように動けなくなるのではないでしょうか?

 一体性については多くを語りたくはあります。また来週もこれについて触れるつもりでいます。