劫濁

 仏教用語に五濁(ごじょく)というものがあります。世の中のけがれの様を五つ示したものです。一つは人間の寿命が短くなる寿濁、一つは時代の環境が腐敗する劫濁、一つは煩悩によるけがれ煩悩濁、一つは思想が混乱をきたす見濁、一つは人間の肉体・精神が貧相・無気力になる有情濁だとされるようです。どれについても触れてみたいのですが、今日は劫濁(こうじょく)についてです。
 
 劫濁は環境の濁りとされますが、劫は時間の意味があり、時代・時間の濁りと理解してもいいと思います。仏教では現代を末法といいます。世も末という言葉はしばしば聞かれます。ヒンズー教ではカリユガ(闘争の時代)といいます。時代が乱れていることを示しています。末法あるいはカリユガがどれくらい続くのか諸説ありますが、時代がにごっているという感覚をもつ人はまあいると思います。
 
 現代の日本や世界の動きをどう見るでしょうか? 詐欺や暴力はしばしばニュースになり、不慮の事故で亡くなる人も多いです。しかし統計資料を見る限りで世界は少しずつよくなってきているとする識者も結構います。たとえば交通事故死者の数は日本ではかつて年1万人を越えていましたが、それが3分の1くらいにまで減りました。自殺者も少しずつ減ってきています。感染症で死ぬ乳幼児も低い水準です。世界を見ても、2回の世界大戦のようなことはここしばらく起こっておらず、シリアなどでは多くの難民が生じる事態ではありますが、戦争死者の数はここ数十年で減ってきているのは確かです。中国やインドなどで経済発展が起こり、世界全体で見れば貧富の差が減ってきていると指摘する人もいます。時代はゆっくりですがよくなってきているというのが私の実感です。少なくとも悪くはなっていません。
 
 多くの善良な方々の努力の賜物といえます。
 
 もちろん個人個人を見れば悲惨で壮絶な人生を歩む人がいるのはわかっています。そういう方々が減ることを願ってはいますし、本当に微力の微力ながらでも彼らに何かできる機会があれば活かしたいとも思っています。
 
 しかし多くの方々の努力の一方、もしかしたらそれを越えて、あるいは関係なく、乱れや繁栄というものが時代の意志のようなものかもしれないと思うことがあります。つまり世の中が乱れるのは一つにそういうように舞台設定が作られているだけだということ、時代(時)が繁栄するのも同じです。時代の特性は人間の力でどうのこうのできない神様の意志のようなものではないかと。
 
 今その(神様の意志としての)一つの時代が変わりかけていると感じます。末法、カリユガが終わりかけて、よい時代が到来していると。実は私以外の少なくない人がそういっているのを聞きます。時代が移りゆき黄金時代が近づいているのを意識のどこかで感じている人も意外に多いのでは?
 
 どうでしょうか? 時代は少しずつでもよくなってきているでしょうか? あるいはこれまでの数十年は相変わらず悪い時代で、またこれから数十年も悪いままでしょうか?