愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

貪瞋痴

 御釈迦様は苦にさいなまれたわけですが、その原因を突き止め、それを乗り越える道を示したところが偉大であるわけです。そして自らも自らが示す道を歩まれました。
 
 苦の原因は四諦(四つの真理)の中では集諦にあたります。集は苦を招き集めるものに関する真理のこと。つまり苦の原因です。
 
 ほぼすべての日本人が知っているだろう煩悩という言葉、簡単に言ってしまえば、苦は煩悩のなせる業なのですが、もう少し具体的に言えば、それは「貪瞋痴」という言葉で表されます。貪欲(貪欲、貪りの心)と瞋恚(怒りの心)と愚痴(蒙昧、愚かさ、無知)などの心の汚れのことです。さらに少し言い換えれば、欲望、エゴ、執着などとも表現できるでしょう。
 
 代表的な悪徳(煩悩)としては、上にあげた、貪欲、怒り、欲望(肉欲)、エゴ、執着のほかに憎悪、嫉妬、高慢などもあります。たとえば嘘だと意図的につくこともありますが、怒りや執着などは人間の第2の習性ではないかと思えるほど人間にとってある種自然なもの。これらの悪徳の背後にあるのが、真理に対する根本的な無知とされます。
 
 真理とは何かということに関しては今おいておくとして、真理に対する無知によって人々は執着や欲望、エゴをはびこらせ、これが苦の原因になるのであるからこれらを克服しなくてはならないとお釈迦様は説かれました。
 
 これらの悪徳は、心に巣食う闇のようなもの。泥棒は昼間ではなく夜を活動時間とするように、人間の動物的性質、悪魔的性質はこのような悪徳を住処とするようです。一朝一夕にこれらの悪徳を取り除くことは困難ですが、少なくともこれらによって苦がもたらされる(かもしれない)と理解しているのとしていないので、これからの人生に違いが生じそうです。
 
 今一ついっておきたいのは、この世に影は付き物ですが、私たちが太陽の方向を向いているとき、私たちの影は後ろにあり私たちに影は見えないということ。太陽に背を向けているならば、目の前にあるのは大きな影だということ。つまり、神仏の方を正面から向いている限りにおいて、悪徳が私たちの意識の隙間に入ってくることはなさそうだということです。だからかどうか知りませんが、私の師は「24時間神を思いながら過ごしなさい」とおっしゃいます。少なくとも苦を免れた幸福な時間がそこにあると思うのです。