愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

完璧・完全について

 完璧、完全。これにこだわりだしたら、きりがありません。しかし性分なのでしょう、たまにこのことが気になります。完璧、完全についてのそもそもの定義がはっきりしていないのも問題です。英語では完璧はperfection、完全はfullnessと表せるのかもしれません。perfectionとは落ち度がまったくないような状態のこと、fullnessはすべてにバランスが取れていて欠けたもののないことのような意味でしょうが、どちらも人間にとってはなかなか到達できる境地ではありません。

 例えば学生時代のテストで100点を取ればそれは完璧といえるのかもしれませんが、しかし世の中に出てしまえばテストではかられるような単純な状況というものはほぼありません。これまでにさまざまな技術革新がありましたが、そもそも一度たりとも完璧であったためしがないからこそ、新しいものが次々に発売されるといえます。

 車には死角があります。本人はすべて見えているつもりでもそうではありません。人間には無意識の領域があります。本人はすべてを理解しているようなつもりでも他人から見ればまったくそうでないことはよくあります。そういうような状況で完璧、完全をどう理解すればいいのか? 今ある最善を尽くせばいいのか? しかし本人は最善を尽くしているつもりでも、自己満足により低いレベルにとどまっている人を見かけることはやはりあります。

 Perfection is achieved not when there is nothing left to add, but when there is nothing left to take away"(Saint-Exupery)
 (完璧は、加えるものが(残されてい)ない場合ではなく、取り去るものが(残されてい)ないときに達成されます。サン=テグジュペリ
 これはかつてこのブログに載せたことのある言葉。これは一つの優れた定義ではあると思います。この定義を念頭に置けば、完全なる純粋性は、取り除くものがないがゆえに完璧といえそうです。

 次のような定義もあります(完全性の定義です)。
 「身体は感覚器官、心、知性、そして内在の魂から成り立っています。完全性とは、これらすべての要素が一体となるべきであることを意味しています。」
 この定義によれば、内在の魂の促しに従って、意志し、識別し、計画し、状況を理解した上で適切に身体を働かせて仕事をすれば、その仕事は完全といえそうです。この定義においても、余分なものはその仕事に含まれることはなさそうです。

 またその仕事を行う動機も大切かもしれません。

 これまでの50年近くの人生で完璧と呼べる仕事をただの一つでも行ったことがあるかどうか? 振り返ってみると、すぐには肯定できない自分がいます。自分に厳しいだけかもしれませんが。