見つける人

 最近似たようなニュアンスの言葉に出会いました。
 「多くの人は、『自分に足りない何かを見つけなくてはならない』『この瞬間以外に何か必要なものがある』と考えている。そうして秘密の何かを探し続ける。それでは『求める人』になってしまっている。――あなたは『求める人』か『見つける人』のどちらかなのだ。」(バーソロミュー)
 「感動が生まれるのは、見たこともないほど美しいものと出会ったときだけではありません。感動は、いつも見慣れたものの中に、思いがけない美しさを見つけ出したときにも生まれます。感動は、どこにでもあるのです。」(片柳神父)
 「幸せ不幸せは、『あるか』『ないか』ではなくその人が『感じるか』『感じないか』という基準で存在したり、しなかったりするのです。」(美輪明宏

 どれも見つけること、見ること、あるいは(自ら)感じることを強調しています。どこかから借りてきた他人の目で物を見るのではなく、自らの目で見ることの新鮮さと大切さが強調されています。

 特にバーソロミュー氏の言葉が私の心に引っかかりました。「求める人」とは秘密を探し求めている人のこと。私にはわかります。私もかつて「秘密」を追い求めていたからです。どこかに知られるべき秘密が隠されていると思い込んで、30年以上も探し続けていました。

 しかしながら、今私は「見つける人」です。人がこの世で生きていくのに知っておくべき秘密などまったくないと気づいたからです。厳密にいえば神秘といえるものはあります。ただそれは私たちが探し求めるべきものというより、それは向こうから私たちの方へやってくるもの。

 片柳神父がおっしゃるように、見慣れた何かの中にある今まで思いもよらなかった美しさに気づくこと、あるいは美輪氏がおっしゃるように、生活の中のちょっとしたことに幸せを感じること。そういうことが楽しくて仕方ありません。

 世界というのはあたかも薄い層が積み重なってできていて、どこまでもその層をめくっていくことができます。化石少年が化石を探すように、世界を見ていると記憶にも似た何かが立ちあらわれてきます。自然もそうですし、社会遺産もそうですし、またさまざまな優れた古典もそう。じっくり味わえば多くを楽しめます。

 もしこれを読んでいるあなたが今「求める人」であるならば、見つけることにも少し力を注いでみてはどうでしょう? 『秘密は何もない』という本がありましたが、おそらくその表題通りなのだと思います。