人生がうまくいっているかどうかの一つの指標

 When you want what God wants, you have no wants.
 (あなたが神が欲するものを欲しているとき、あなたには何も欲しいものはない。)

 どうしていいかわからないながらも、欲望(あれが欲しい、あれがしたいなどの思い)を減らそうと何年ももがいてきて、多少なりともそれに煩わされない程度に欲望を減らしてこれたと感じるこのごろ、この言葉にふと出会いました。

 何かが欲しいと思わなくなってきたのは、私が今日々行っていること(つまり私が望んで心がけてきた生活)がwhat God wants(神が私に望んでいること)にある程度近づいてきた印なのかもしれないと知り、うれしく思っています。これは自分なりの努力のせいかもしれないですが、一つは年をとったせいもあるとひそかに思っています。年を取ると運命に逆らう体力・気力が減ってきますもの。

 ウパニシャッドにこれに関連した言葉があります。
 ヨー ヴェーダ ニヒタン グハーヤーム パラメー ヴョーマン
 ソー シヌテー サルヴァーン カーマーンサハ
 ブランマナー ヴィパシチテティー
 (彼=神がハートの洞窟に住んでいると人が実感するとき、彼=神のすべての欲望は満たされる。)

 神がハートにいる実感は別として、どんな理由にせよ、欲望が減ると人生がより楽になるのは間違いありません。思いのわずらいが減るということですから。思いのわずらいこそは人間のほとんどの苦痛の原因ですし。

 そして自分の行っていることが神の御心に従っているかもしれないならその状態を受け入れるに越したことはありません。私はそうであって欲しいので、欲望の減った状態は、神が私に望んでいる生き方に近づいてきたと理解するつもりでいます。

 果たしてそれはどのような生き方か? 簡単にいえば、目の前にある仕事を選り好みせずに、そして自分や他者を傷つけることのない方法で、できるだけてきぱきと片付けていくことです。さらに望ましいのは、その結果にこだわらないこと。人はやることがあって、毎日それに携われるだけで幸せなはず。最近そんな気がしています。

 欲しいものが減るというのは、人生がうまくいっている一つの指標といえると思うのですが、いかがでしょうか? うまくいっていないならうまくいっていないほど、代償として多くを求めてはいないでしょうか?