愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

家庭内の環境作り

 「コメができる条件を作ることしか人間にはできない。」-山下惣一

 多分農業と子育ては似ているところがあって、どちらもとても手間がかかるのだけれども、親の努力ですべてがうまくいくというわけでもなく、結局は作物や子が自ら育つしかありません。農業でしたら土作り、最近は自然農法の名も聞かれ、これは土を耕さずに土作りをします。子を育てるには子どもが育つための環境作り、これが大切です。

 人は心が落ち着いて平安であるときに頭脳も働き、識別も鋭くなります。また平安であるときには心に満足があります。ですので平安は欠かせません。平安な家庭はまさに天国、平安のない家庭はまさに地獄です。

 あとは生きる手本を示すことで、子に生きる道を伝えていくことです。たとえ頭ではこうしたほうがいいとわかっていることでも、自らが実行できないことは、あまり話さない方が子育てにいいのではないかと思います。間違うと、偽善や高慢を子は身につけてしまいます。

 どうしても血のつながった家族に対しては執着が生じます。たとえば次のような場合を考えてみます。
 子どもが高校入試などの試験に失敗したとき、親は(そして子も)落胆します。しかし目指した高校に合格した人はまたたくさんいるわけで、自分の子でないがゆえに彼らの合格を祝う気持ちが湧いてきません。それは自然といえば自然なことですが、しかし自分の子のことだけを思う執着のあらわれです。

 子に限らず家族皆が集った家庭は世界・世間の縮図です。共に生活し、共に助け合い、共に学びあうために、何の縁かはわかりませんが、一つ屋根の下にいます。個性はさまざまです。自分に近しい人と思いつめると家族はこうでなくてはならないというような思いがわくことがありますが、家庭は世界・世間の縮図だと受け止めることができるようになって、執着(や親族に対する変なこだわり)を克服するきっかけが得られたような気がします。なすべきこと(つまりダルマ)は果たさなければなりませんが。

 家庭での仕事は目立つことが余りありませんが、しかし大切でやりがいのあることが多くあります。学びの機会が多いとでもいいましょうか。

 先週今年の目標を掲げたのですが、それに加えて次のことも心がけたいと思っています。
 「毎日自分が行っていることと、その動機とを吟味しなさい。そうすれば、自分がどれだけ進歩しているかを判断することができます。一見簡単そうに見えますが、最も難しい課題の一つです。」

 ここ数日寝る前にその日一日に行ってきたことと、そして動機を振り返ってきました。多分、自らの行動の真の動機を理解することが難しいのではないかと思うのですが、それはさておき、自分の進歩の程度がわかりにくいので、自分の進歩を知る上でも、行動とその動機の吟味を続けてみようと思っています。