愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

さまざまな言葉4

 まだ梅雨が明けていないところもあるようですが、私の住んでいるところはもう夏本番です。年を取ると、熱中症もひとごとではなくなります。皆様気をつけてお過ごしください。

 今日は最近気になったさまざまな言葉について書きたいと思います。

・たとえば、学校でな「困ってる人がおったら助けましょう」って教えてくれはったやんか? けど自分が困ってる人になったときにどうしたらいいかを教えてもらってへんねん。「そういうときは一人でがんばらないで助けてって言ってもいい」って今からでも広めていきたい。(ハピネスライフさん)

→どうでしょうか? 思うよりも多くの人が長い人生の中で困難に出合うことと思いますが、自分が困ったときにどうしたらいいのでしょうか? 私も親や学校で教えてもらった記憶がなく、若いころ本当に困ったとき、どうしたらいいのか途方にくれかかったことがあります。
 結論から言えば、困っている人がいたら助ける、自分が困った状態におかれたら適切な人に助けを求める。これは共に大切なことだと思うのです。できるだけ自分が困るような状況におかれないようにするには、普段からエゴや欲望に走らず、着実になすべきことをなす人生を送るのがいいと思うのですが、しかし自分の至らなさゆえか、あるいは運命ゆえか、困ってしまったときには、人を頼っていいと思います。人を頼ることは実はある程度「強い」人にしかできないことではないかと感じるくらいですが、人生持ちつ持たれつなのですから。

・Knowledge ends in love.(知識は愛を目的地とする)

→知識、知識、知識…。というより情報といったほうがいいのかもしれませんが、情報を求めるのに忙しい現代の生活です。
 私にとっては、知識というのは簡素であろうと複雑であろうと、それは理解に基づいた一つの体系です。何かを知ることは、対象に関して総合的に知ることです。たとえば虫が好きな人は、その色や大きさ、生態などを観察します。観察や図鑑などの書物からその虫に関して知識を得ます。しかしその知識の出発点は虫への愛であり、知識の結果はその虫へのさらなる愛です。知識を求める底流には本来愛があります。愛は知識を包む包み紙のようなものです。
 学校では愛のない知識が教えられることが多々あります。愛のない知識は完結しません。知識は愛を媒体とし、愛は知識(や行為、存在)を媒体とします。

・「心をもつ者」として扱われることによって、またそのことだけによって、心は発生し成長するのだ。(下條信輔:折々のことばより)

→この心理学者は乳児やペットに心があるかとの問いは間違いであるといい、そしてさらに上のように加えたそうです。乳児は親から心をもつ者として扱われるがゆえに、心が生じる。狼に育てられた乳児がいたと聞きますが、その子は人間として成長しなかったと記憶しています。
 乳児やペットのみならず、人生のどこかにおいて、人は誰かから話しかけられたとき、話しかけられた言葉に応じた心が発達しそうです。言葉の荒い人と付き合っていると、それに応じた思考をするようになります。愛に満ちた人と接し続けていると、自分の心にも愛が湧いてくるようになります。
 ですので、人に語りかけるときは、その人に応じた言葉を使っていいのですが、もしできるならば、愛を込めて語りかけたいと思います。そうすれば、それを聞く人にそれに応じた心が生じるでしょうから。