「相撲の神様は私のほうに微笑んでくれた」
今年の初場所に琴奨菊が優勝したものの、ここしばらく日本人の優勝はほとんどありません。モンゴル勢の前に勝てない時期が長く続いています。白鵬は、彼の言葉を見てもわかるように、神様を信じているのでしょう。日馬富士もそうです。白鵬のあまりの強さに、かつて相撲の神様が彼についているといっていました。今は怪我に悩まされている照ノ富士も似たようなことをいっていたような気がします。
どの分野でもそうですが、飛びぬけた才能のレベル、選ばれた才能のレベルにおいては、単なる実力だけではどうにもならない領域があります。先場所、全勝同士の対決である白鵬ー稀勢ノ里戦を前に、白鵬は確実に勝てると確信していたわけではなく、(普段から彼は勝とうと思って相撲をとっていません。勝とうと思わないように心がけているそうです)流れの中で相撲をとったのでしょうが、その結果、つまり自らの勝利は神様のおかげだと彼は振り返っています。
努力は大切です。しかし、努力が必ずしも結果に結びつくわけではないと理解することはもっと大切です。人一倍の努力をしても生活に苦労している人がいる一方、ほとんど何も努力をせずに成功している人もいます。私は他にすることがないから努力をしていますが、それで物事いつもうまくいくとは思っていません。結局のところ最後は宿命です。
白鵬の言葉に戻るならば、もう一点大切なのは、「日ごろの行いも良くしなければ」という箇所です。日ごろの行いと相撲の勝負とどんな関係があるのかと思う人もいるかもしれませんが、日ごろの行いは人生のあらゆる面における地力を培います。白鵬は24時間相撲のことを考えているといいます。普段の生活においても決して手抜きをしていないのでしょう。