愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

愛の化身(具現)

 私の師は人に呼びかけるときにしばしば「愛の化身である皆さん(embodiment of love)といいます。化身を手元の辞書で調べると「1.神仏が人々を救うために、さまざまな姿に形を変えて、この世に現れること。2.(仏教)応身に同じ。3.芝居に登場する妖怪変化。」とあります。embodimentを調べると「(特性・思想などを)具体的に表すもの(人)、化身、具現、具象、体系化」と説明があります。「愛の化身である皆さん」という言葉を最初に聞いたとき、人の本質は愛なのですよというふうに受け取りました。確かにそれが最も直感的で素直な理解なのかもしれません。しかし人によってはさまざまに理解される言葉でもあります。

 かつて知人に聞いたのですが、インドには「宇宙にはさまざまな力(重力や電磁力など)がありますが、最終的にそれらの源は愛であると理解される日がくるのではないか」とおっしゃる学者の方がいるそうです。物理学の分野では数式をさまざまに解釈し、さまざまな実験を積み重ね、この宇宙の存在する力の根源を統一的に理解しようと多くの物理学者たちが研究を重ねています。しかし多分人間の知性と資源に限界が感じられ始めた中、それが可能なのかどうか私にはよくわかりません。もしすべての力も源が愛であるということがわかったならば、それはとてもすばらしいことだと思います。

 愛の化身を、すべての物質は原子からできていると今は思われているが、実はそうではなく愛からできているのではないかという理解もできます。これはとても魅力的な考え方です。この世界は、目に見えない愛が感覚で知覚できる現在の宇宙へと変化したものなのかもしれません。そして原子というものは実はあるようで実際には単なる仮象(実際に存在するように感覚的に現われながらも、それ自身客観的な実在性をもたない形象)にすぎないのかも。

 人が愛の化身であるとして、しかしなぜ人は争い、傷つけあい、感情が激しくもあるのでしょうか? おそらくすべての人に愛はあるのでしょうが、それが自分の単なるエゴを愛するだけであったり、家族のみを愛するだけであったり、富だけを愛しているのであって、社会への愛や、それよりも大きな人類愛、同胞愛でないだけなのでしょう。愛は愛に違いないのですが、それはさまざまに制限されています。それに似たようなことですが、ヘビは多くの人から怖がられていますが、ヘビ同士は愛し合っていると聞きます。猛獣同士もお互いに愛し合っているでしょう。

 私の師は人が愛の化身であることは真実であるから、いつも愛の化身と呼びかけるのですが、帰依者の皆さんと呼んだり、あるいは善良な皆さんとは呼びかけません。

 人とは愛が感覚できる形をとったもの。このことを理解し、この名にふさわしく生きることができさえすれば、それで十分なのかもしれません。