引き算の美学

 かつて料理研究家の辰巳芳子さんについて書いたとき、(こちら)思考は刃物のようなもので、余分なものを削ぎ落とす役割があり、それによって本質を押さえることが大切だというようなことを述べました。情報があふれる中で物事を整理して理解するためには、やはり「取り除く」ことが有効だと思うのです。

 1週間前には最近兼好法師徒然草を久しぶりに手にとったと書きましたが、その中にも少し似たような話がありました。第59段です。「大事を思ひ立たむ人は、去りがたく心にかからむことの、本意を遂げずしてさながら捨つべきなり。」これを現代語では「道を求め、悟りを開くという一大事を決意している人間は、放っておけず、心にかかることがあっても、その解決を望まずに、そっくりそのまま捨ててしまうべきだ。」と訳しています。道を求める人にとっては肝に銘じるにふさわしい言葉です。

 私などは、鷹に追われてひっそりと隠れた小鳥が、鷹の去ったあとたちまち世界に飛び立っていきたくなるように、放っておいたらいろいろなことが心に湧いてきます。あれがしたい、これがしたい、あれが面白そうだ、これが面白そうだ。思いつくことをすべて実行するだけの時間も資力もありません。やらないといけないことをやって残った時間に最もやりたいことをするだけですが、その際多くの思いや考えを手放す結果となります。

 私は山歩きも好きですが、最近ロングトレイルにも少し関心をもち、それに関する雑誌を読みました。長い距離を歩くには荷物が重いと辛くなります。必要なものを絞らなくてはなりません。「不要なものは他のロングトレーラーにあげ、必要なものは他のロングトレーラーから調達する、そして不思議とそれで物がうまく皆に行き届き決して困ることがない。」そういう体験をしてきたロングトレーラーは、これこそが真に平和な状態なのではないかと述べ、「歩く人が増えれば、世界は平和になる」といいます。

 旅は携帯する物に制限されます。歩く旅は携帯する物の量が制限されます。本来は人生も歩く旅に似ているのでしょうが、ついつい多くのものを背負って人生を歩んでいます。皆が、人生の目的をはっきりさせ、それに必要なだけに荷物を制限すれば、多分皆人生が楽にそして楽しくなるでしょうし、世界も平和になるのでしょう。

 私の人生もそうは長くありません。引き算も考えながら人生の歩みを進めることは今の課題の一つです。メモや書物やインターネットに頼らず、頭だけで処理が可能な範囲で生活を営めればいいと思っています。