これまでの半年間に気になった言葉のいくつかを取り上げます。主にインターネットから拾ってきています。
・みる映画を同時に二本選べないことは誰もが知っているが、今開くべき意識の方向性を、主体的に選んでいる人はほとんどいない。(名越康文)
→この言葉は私に身にしみます。目の前の現実を前に、頭の中でそれとは異なるイメージを想像し、そちらの方に意識がいっていることがあるのです。イメージが定まっているならまだしも、いくつもの映画を同時に見るかのように、いくつかのイメージがめぐることがあります。それらを主体的に選ぶ必要があるのだと、この精神科医の言葉は教えてくれます。
・間違って引いた線さえも、美しいデッサンの一部にしてしまう画家のように、神様は私たちの間違いからでさえよいものを生み出してくださいます。消せない間違いを、いつまでも気にする必要はありません。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。(片柳神父)
→時に完璧にこだわることのある私ですが、どうがんばっても今の私では大したことができないことがあります。不十分だとわかっていても、間違ったようなことしかできないこともあります。そういうことを考えると気詰まりになるのですが、もう少し気を楽に持ってもいいのではないかと思わせてくれる神父さんの言葉です。
・あれごらん 親に抱かれて 寝る赤子 落ちる落ちぬの 心配はなし (稲垣瑞剣師)
→絶対の信心とはこの赤子のようなものです。神、仏に抱かれていながら不安になってしまう人々。そこにはからいが生じます。私の場合、欲を減らせば減らすほど神仏に任せることができるように感じています。欲があればその実現に目が向いて、委ねることができなくなります。
→怒りを溜め込みすぎると反社会的な行動につながりかねませんし、不安や悲しみを溜め込むと抑うつ的になりえます。感情を適宜言葉で表現するようにすれば、気持ちは楽になります。若かりし私は余裕がなかったせいもありますが、感情を言語化する目の前の人に対して、少し突き放したところもありましたが、これからはできるだけ人の言葉を価値判断せずに受け止めることができるようになれればと思っています。
・やっぱり、大多数がそれを合意できるような何かに手を加えて、ちょっと違う、新たな資本主義ができるのは、日本の勤勉さと、従順さ、秩序さ、それを持ってる国民の日本じゃないと、できないんじゃないかと思うんですよねぇ(タモリ)
→うまくいえないのですが、景気が長い間低迷している日本(私は成長率などの数字にこだわるつもりはないのですが、世の雰囲気がふさいでいるのは感じます)において、うまくそれを乗り越えることができたならば、これまでにない新しい何かが生まれるのではないかという思いがあります。それがどのようなものになるのか、わからないのですが。