愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

オリジナル

 いつも小難しいことを書いています。同じようなことを視点を変えて、さまざまに書いているような気が自分でもしています。読んでくださる方々に感謝しています。これからもよろしくお願いします。

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 東京オリンピックのエンブレムの問題で、オリジナルと模倣の違いが話題になりました。著作権についても考えさせられました。思うに、完全なオリジナル作品は現代において難しいのではないかという気がするのですが、それでもその人その人の創造性というものも確かにあると思うのです。

 私も多少文章を書くのでわかるのですが、まったく何もない0地点から考えて書いたものは一つとしてありません。何かを見たり聞いたりして心に生じた何か、それは情緒のようなものですが、それを書くわけです。私には自分なりの文体があり、文体とはその情緒を文章で表すための、私が肉体に獲得した回路のことです。何かを見聞きしたときに心に生じる情緒を自分でコントロールすることはできませんが、それを表現することは技能であり、そこがオリジナリティになります。

 人は歴史の内に生きる存在です。何かの道に進もうとすれば、その道の伝統に身を置くことになります。まず出発点となるのは、その伝統を吸収することでしょう。多分最初は模倣から始まると思います。技芸においては、茶道でもお花でも習う際はお手本を示され、その意味がわからないままにでも、それを真似ることから始まります。模倣を繰り返すことを通じて、わからない意味=本質を吸収する努力があり、それを吸収しさえすれば、自らの独創性への道が開かれてくる。 それが守破離ではないでしょうか。

 霊性の実践について語りたいのですが、霊性のことをまったく知らない人は、霊性のことについて聞いても、わかるような気がしてもよくはわからないのが実際だと思います。私がそうでした。霊性は人生に絶えることのない新鮮さを与え、いつも新しいものです。日々の勤めを果たす上で、いつも同じようなことを繰り返していても、初めて行うに近いような感覚を与えてくれます。それは人生を造花や枯れた花としてではなく、生花として生きさせてくれるものです。幼児は霊性という言葉を知らなくとも、霊性のうちに生きています。ですから、幼児は1年を長く感じます。

 霊性を学ぶ際も、最初は書物や共に学ぶ仲間たちから学び始めます。最初は時にぎこちなくもあります。本質が理解できないうちは、形式に陥ってしまいエゴを育むこともあります。しかし一旦理解できるようになると、霊性の領域においても「自学自習」ができるようになり、生活のさまざまな面において応用がきくようになります。模倣からオリジナルの領域へと足を踏み入れ、人生が他者から与えられた作り物ではなく、自分のものとなってきます。

 優れたデザインの商品はすぐに定番化しますが、人生も同じで、優れた人の人生を多くの人が倣うことがあります。しかし他者と似ていたとしても、オリジナルであることには変わりありません。商品や技芸においてオリジナルなものを求める機会はほとんどありませんが、人生がオリジナルなものであることは私にとって切実な問題でした。そのためには誠実さが必要でした。何でもそうだと思うのです。