愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

ラーマクリシュナパラマハムサ

 人に田中嫺玉さんのことを聞きました。先生には付きましたが、彼女は主婦で、ほとんど独学でサンスクリット語を学び、「バガヴァッド・ギータ」やラーマクリシュナパラマハムサの言葉を集めた「不滅の言葉コタムリト」などを原典から訳した方です。その田中さんの訳されたバガヴァッド・ギータが、これまで日本で訳されたバガヴァッド・ギーターの中で一番いいのではないかとの噂でした。彼女の訳したバガヴァッド・ギータはまだ読んでいませんが、彼女がラーマクリシュナパラマハムサに関する本をたくさん訳しているのに関心をもちました。私はラーマクリシュナに関する本をこれまで一度も読んだことがなかったからです。

 ブッダシャンカラチャリヤ、ラーマクリシュナをインドの三聖と呼ぶ人もいるようです。ブッダは不二一元論を道徳的に説き、シャンカラチャリヤは不二一元論を知的に説いたと聞きます。それではラーマクリシュナはどういう人なのだろうとの関心をもちながら、田中さんの訳した彼に関する伝記「インドの光聖ラーマクリシュナの生涯」を買って読んでみました。

 一読し終わって2つの印象が強く心に残っています。彼ラーマクリシュナはとてもバーヴァ(思い)の強い人だったということ。もう一つは、彼がヴィヴェーカーナンダを育てたくだりです。彼は神を見ようと一心に願い、ついには彼が望むときに神(大母神マー)を見、会話できるようになりました。人の思いは何でも実現することができますが、神を見たいと願う人はまれです。願った人の中で実際に神を見ることのできる人はなおまれです。彼は純粋に神を求め、神のダルシャン(神を拝謁すること)を得ました。

 彼はヴィヴェーカーナンダをはじめてみた時から、彼が特別な魂であることを見抜きました。生涯の最後の10年位に多くの弟子が彼のもとに集まってきたのですが、彼はヴィヴェーカーナンダを育てることに多くの力を注ぎます。ヴィヴェーカーナンダは自分の納得しないことは決して受け入れない人だったので、最初の頃は師であるラーマクリシュナパラマハムサの言うことを何度となく否定していました。ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダの厳しさに「傷つく」こともあったようですが、倦まずに彼を教え導き続きました。後にヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナの言っていることの真実性に気づくようになりました。

 ヴィヴェーカーナンダのアメリカやヨーロッパでの講演録は今でも残っています。私もその一部を読んだことがありますが、素晴らしい内容のものです。彼のスピーチは、イギリス統治下にあって自信を失いかけていたインドの人々を強く鼓舞することになりました。そしてそれはインド人たちが自分たちの古来からの文化に目覚める一つのきっかけとなったのでした。それを準備したのはラーマクリシュナパラマハムサでした。

 ラーマクリシュナパラマハムサは「お金と女から離れなさい」と弟子たちに繰り返し語っていたようです。ラーマクリシュナパラマハムサがお金を嫌うのは言葉だけではないかと思ったヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナパラマハムサの寝台のシーツの下にこっそりとコインを隠したそうです。それを知らないラーマクリシュナパラマハムサは寝台に来て寝ようと思ったのですが、体に違和感を感じてどうにもこうにも寝付けなかったそうです。それを見た、ヴィヴェーカーナンダは、師が本当にお金(の波動)を受け付けないのだということを知りました。

 後にラーマクリシュナは、癌だと言われていますが、喉を痛めました。弟子たちが神様にお願いして治してもらってくださいと泣きながら師に問うと、師は以前神に「あなたは何千もの口をもって食べていながら、ラーマクリシュナの名のついた体の口で食べることができないといって嘆いている」とたしなめられたことを弟子たちに語ります。悟りを得た人は、すべての人が自分自身であることを体験しているので、自分の体で食べるのも、他の体が食物を口にするのも同じであると感じるそうなのです。

 彼はしばしばサマディ(三昧)の状態に達しました。彼のそばにいた人たちは、サマディの状態にある人を直接見ることができる幸運に恵まれました。

 1836〜86まで50年間を生きた彼は、近代だけでなく、インドの歴史全体の中で見ても卓越した聖者であったといえるでしょう。彼のような人が繰り返し繰り返し現れるインドの地は神に祝福された地なのだと思います。