ソーハムマントラ

 この世は変化します。いっときもじっとしていることがありません。お釈迦様は諸行無常と言われましたが、それはこの世の性質の一つです。人は、赤ん坊として生まれ、子どもとなり、少年、青年、中年、老年、そして最後は灰へと帰っていきます。人の心も何かを得ては喜び、何かを失っては悲しみ、次から次へと湧き起こってくる欲望に支配されています。

 私はかつてこの世の中のことをよく考えていました。長いあいだ考察を続けていると、有為転変するこの世に心(マインド)が影響されて、頭が回ってきて、長いあいだ気分が悪かったことがあります。それ以降、この世のことについてできるだけ考えないようにしました。

 しかし、この世で生きていかなくてはならない人間にとって、この世のことにも少しは配慮しなくてはなりません。今ではそのことが少し苦痛ではあるのですが、変化する世の中に関するニュースに目を通しています。

 最近おもしろい言葉に出会いました。
 「体験はたとえ幻想であってもその人に深い影響を与える。ただしその解釈は変容しうる。解釈を固着させ変容させないものこそが、妄想である。」

 この言葉は真理ではないかと思います。変わることを常とする世の中に嫌気が差した人は、ドグマというか固有の信念、思い込みをもつようになります。それは精神を守る一つの手段ではあると思います。しかし、上にあるように、それはほとんどが妄想の類でしょう。

 変化する世にあって変化しないもの、それは真の自己(アートマ)です。肉体や心や知性は変化しますが、アートマは変化しません。この真の自己の認識が得られれば、変化する世に惑わされることは減ってきます。

 ソーハムというマントラがあります。鼻で呼吸するときに、吸うときにも吐くときにも音がします。吸うときの音はソーに近い音で、吐くときの音はハムに近い音です。ソーはインドで「それ(=神)」という意味で、ハムは「わたし」という意味です。ソーハムで「私はそれ(神)」という意味になるそうです。
 (またもうひとつ、ソーと吸うときに神を受け入れ、ハムと吐くときにエゴを手放すという意味もあります。)

 人間は1日に2万回近く呼吸しますが、毎日それだけの回数呼吸が「私はそれ(神)」と宣言しています。すべての宗教が人間は神である、仏であると宣言していますが、私たちの呼吸も同じことを宣言しています。

 最近疲れやすくなってきたので、夜寝床に入ると何も考える気力が残っていません。そういうときは呼吸に意識を向け、「ソー、ハム」という音に集中しています。10分くらいすると自然に眠りに落ちています。私は毎日、自分が神であることを瞑想しながら眠りについています。

 神と言おうとアートマと言おうと、それは唯一存在するものを指し示す言葉です。自分自身がその唯一存在するもの、そのものであることを自覚するのにソーハムマントラは有効です。誰もが生まれながらにこのマントラを授けられています。