しかしながら、20年たった今も麻原彰晃を崇める団体に多くの人が惹かれているという記事を見ていると、やはりなんでなのだろうかと感じてしまいます。記事には「藁をもつかむ気持ちで参加した」という信者の方のコメントが載っていましたが、藁をもつかむ気持ちになったその人は、伝統的な仏教やキリスト教などとは関わりをもたなかったのだろうか、関わりをもったけれども裏切られ、もう他に行くところがないと感じているのだろうか、などといくつかの疑問が生じました。
私は麻原彰晃は普通の人で特に霊的に優れているようには感じませんが、彼が信者に指示したことは明らかな罪であり、彼は罪を償うべきであると思っています。かわいそうなのは信者の人たちです。教祖に自らの判断を委ねるように求められた人たちです。彼らの中には、純粋に信仰の道を歩みたいと思っている人もいます。
麻原彰晃に限らず、超能力(インドの言葉ではシッディといいます)で人を引きつけようとする人がたくさんいます。幸福の科学の教祖もそういう類だと聞きます。私はそういう超能力(シッディ)にはまったく関心はないので、そういうものを売りにしている人に惹かれることはないのですが、そういうものにころっとなる、惑わされる人やそういうものに関心のある人がたくさんいます。
近代インドの大聖者ラーマクリシュナパラマハンサはシッディ(超能力)を強調する人には気をつけなさいというようなことをいっていました。私もそう思います。愛よりも偉大な霊的能力はなく、愛よりも安全な道はありません。何かが見えるとか、何かのメッセージを受けただとか、詐欺まがいの超能力には気をつける必要があります。
愛を知っている人は、そういうものに惹かれることはありません。愛のうちに生きることに満足があるからです。ダルマの道を歩む人はダルマから目をそらせるそういう能力に惹かれることはありません。ダルマの道から外れることは人に苦痛をもたらすからです。そして本当に真実を知っている人は、そういうもの(シッディ)が非真であることを知っています。
私は宗教的、霊的なことをここでよく書きますが、カルトやシッディ(超能力)には否定的です。そういうものと関わらないようにと皆様にお伝えしたいです。にも関わらず、そういうものに惹かれる人に同情や慈悲も感じます。そして彼らが真実の道に戻ることを願っています。