愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

知識をスキルに2

家の中学生が言いました。「最近記憶力が落ちてきたような気がする」と。中学の勉強でも、それをすべて理解し覚えようとすれば頭はいっぱいになってきます。頭の記憶容量には限界があります。日本の高校生などは本当にかわいそうです。大学や専門学校などでは自分の専門や関心のあることを勉強しておけばいいのですが、高校生の時は受験のために関心のないさまざまなことを記憶しないといけないケースがあります。

 世の中で生きていく上で有用なことを頭に記憶しておくべきですが、頭の容量は限られています。どうすればいいでしょうか? 頭にあるものをすべて捨てて新しいものを入れることもできますが、私の場合はより低次の真理をより高次の真理に置き換える工夫をします。そういうことを繰り返していると、このブログで書いているように、次第に抽象的な哲学を語るようになってきます。私に限らず、年をとった人は若い人より哲学的だと思います。

 他にも知識を技能(スキル)に変えることによって知識を無駄にしない方法もあります。

 たとえば食物に関して私はさまざまに調べて知識を集めてきましたが、今は食べるものは大体決まっていますし、料理も苦もなく整えることができます。食物に関する一連の知識が体に身に付いたのです。なぜそれを食べるのかも私は答えることができますし、それを食べることでどのような健康への効果があるかもある程度実感しています。私の食生活はこれまでに学んだ知識の具現になっています。

 いろいろ調べてみますと、英語を上手に話せるようになるのも、商売を上手く軌道に乗せコツも、ピアノを習うようなものだとその道の人たちが語っているのを目にします。ピアノを演奏しようと思っても最初しばらくはうまくいきません。楽譜が読めるようになり、簡単な曲から練習を重ね、少しずつ難しいことに取り組んでいくことを重ねていってどんな曲でも演奏できるようになります。英語に関して学んだすべての知識、商売に関して学んだすべての知識がスキルとして実現されています。

 霊性の道を歩むことにおいても同様です。いくら考えても自転車に乗れないですし、またプールで泳げるようになりません。知識をいくらかき集めても霊性の道を歩めるようにはなりません。すべては体=生き方で覚えます。

 学校教育においては知識や思考力、判断力を身に付けるだけでなく、知識を役に立てる実践の場を設け、知識をスキルにする訓練が必要です。食べ物は食べたあとに消化されて体が軽くなるように、知識を役立てるすべを身に付けると、それまでに学習したことが負担にならなくなります。

 容量の限られる頭脳を活用するにはこのような工夫が必要です。