愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

エゴ2

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RobertA

かつてエゴと執着を取り除くことを勧められました。その当時は軽く考えていたのですが、エゴと執着を取り除くのはかなり大変なことです。そもそもエゴがどのようなものかよく理解していませんでした。

 エゴとは自分を肉体と同一視すること、そしてその前提のもとに作られたありとあらゆる理論を含むものです。自分の肉体を指さして私、私とよく言いますが、その私のことです。なかなか自分にエゴがあると気づくことのできない人もあるかもしれません。エゴはとても根深いものです。

 自分勝手な人を見ているとその人はエゴ丸出しなのがわかります。そのようにわかりやすいエゴもあります。しかしほかにも微妙なエゴがあります。最近マスコミのことが少し話題になりましたのでマスコミのことに触れたいのですが、日本のマスコミには記者クラブというのがあって、そこでは各社の記者の座る席が決まっているそうです。といっても、規則で決められているわけではなく、慣例として長年受け継がれているようです。その座席の秩序を乱さないように記者の方々は互いに気を配っているようですが、これなどはある種の微妙なエゴです。規則で決められているわけではないのに、その秩序が崩されないような力学が働いています。人が集まる所、さまざまなしがらみでがんじがらめになるのは、みなこの微妙なエゴのせいです。

 愛に生きたほうがいいよと勧めたり、真実を話すようにしたほうがいいよとアドバイスをしたとき、それが正しいことであるとわかっていても、いろいろ理由をつけて反論を試みる人が時にいます。その人にはその人の理論があるのですが、そういうこだわりにはほとんどの場合、エゴが隠されています。主義・主張をおおっぴらに語る人が世の中にはいますが、その多くの場合、立派な言説でエゴをごまかしているだけです。

 本当にエゴは根深いものです。このエゴを取り除くのは長年にわたる継続的な努力が必要です。神に愛された人は、神によってエゴを徹底的に砕かれます。それはサトウキビを徹底的に搾って甘い汁を取り出すように、あるいはダイヤモンドが細部に至るまで削られて輝きを増すように、金が熱い火に熱せられて不純物を取り除かれるようにです。エゴを取り除かれる過程はとても苦々しいものです。このような苦痛に満ちた時期が一定期間続きます。その過程を経てエゴが取り除かれてくると、人はとても柔和になります。そして人生が甘くなってきます。

 ラソーヴァイサハ(神は甘味である)

 といわれますが、筋(すじ)でいっぱいのサトウキビから搾り取られた汁のような状態にいたります。

 少しわかったようなことを書きましたが、私にもまだエゴや執着が残っているので、一片のエゴすらなくなるようにしたいと思っています。

 エゴがなくなって何がいいのでしょうか? エゴがなくなっても人生で失うものは何もありません。ただ人生の甘味をいつも体験できるようになります。それは求め体験する価値のあるものです。