愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

道徳について

何回か書いていますが、思いと言葉と行動の一致が大切だと思います。思ったことを言葉に表す。言葉の形で計画する。言葉にしたこと、計画したことを体で実行する。シンプルですが、人生で心がけるべきことは往々にして単純です。実践は少し難しいこともありますが。

 自己探求とは、自分を知ることです。自分を知るには内省を繰り返し、心の思いと思いの出処を調べたりしますが、これはきりのない作業になってしまうような気がします。私も夢日記をつけるほどに内にあるものを調べようとしたことがありますが、しんどい作業でした。これはこれでいいとは思いますが、もう少し簡単な方法があります。

 それは、心の中で思っていることをすべて外に出してしまうことです。先ほど思いと言葉と行動の一致が大切だと書きましたが、いい思いはぜひ積極的に言葉に出し実行するのがいいのですが、悪い思いも言葉で表現し、実行すべきです。ただし、悪い思いをそのまま表現すれば、他人や社会に害をなしてしまいますので、世間に受け入れられる形に昇華してから表に出すのがいいと思います。

 心の中の思いを外に出しきると、自分が理解できるようになってきます。内を向く内省ではなく、内にあるものを引き出すところがポイントです。本当に内にあるものを出し切ると、何が残るでしょうか? 私はそれが真の自己だと思っています。自分を出し切ると、満足が得られます。

 人間の行動を律するものには三つのものがあると考えています。一つは道徳、一つはダルマ(法)あるいは倫理、一つは霊性です。ダルマとは、例えば父として、母として、子として、配偶者として、社会人としての振る舞い、義務のことです。また霊性とは自分が普遍なる霊であるとの自覚に基づいて行動することです。簡単に言えば、自分がされて嫌なことは人に対して行ってはならない、という非暴力です。

 道徳とは何かということは定義にもよります。学校の道徳の時間に協力や助け合い、人間の尊重、自立などを学びました。日本では徳目を学んでいますが、私の道徳の定義は「内なる思いを言葉や行動の形で外に表現する際の基準」です。

 心に邪悪な思いがあったとします。それはそのまま表現しては自分にとっても他の人にとってもよくありません。ある人はそれを芸術、スポーツなどを通じて表現します。映画や文学や漫画、格闘技などです。ある人は、ユーモアの形にして表すかもしれません。

 良い思いであっても、単に外に出すのではなく、高い基準を設けて表現することもできます。例えば家事にしても、ルーチンワークと思ってするよりも、無私の奉仕、家族への感謝の表現として行為することもできます。このブログもただ思っていることをそのまま書いてもいいのですが、ひょっとして私のなんの気もない表現で傷付く人がいるかもしれないので、細部にまで気をつけています。

 単にいいというだけでなく、人間には崇高な思いもあります。すべての人が幸せでありますようにとの祈りや、平和を強く希求すること、解脱を目指したいなどの思いです。これらも思いの崇高さにあった形で実現していくべきです。

 このように、内なる思いを外に出すときの基準となるものが私にとっての道徳になります。それらは学校の授業で習うように、徳目として学ぶこともできます。