Roberto Galavotti
国は大地や山や川、あるいは大地を取り囲んでいる海で形成されていると思う人もいるかもしれません。確かにそこに住み、そこで安全に生活してはいますが、それだけでは国とはまだ言えないように思います。縄文時代あるいはそれ以前の昔、日本列島には人が住んでいましたが、まだ国と言えるものはなかったはずです。
プラーナという言葉があります。呼吸、息、生気などの意味を持つインドの言葉です。国はこのプラーナでできていると聞いたことがあります。(他の国の国籍をもっている人もいますが)現在日本列島に住む多くの人が自分は日本人であると思っています。そういう思いそのものが国を形作っているのではないでしょうか? もし仮に北海道の人や沖縄の人が、自分たちは日本人ではなく固有の文化を持つ北海道国の人間だとか、沖縄国の人間だと強く思うようになると、日本という国のかたちは揺らいでくると思います。プラーナ=呼吸には人の想いが溶け込んでいます。そういう思いがまとまって国を作っていると今は考えています。
確かに憲法をはじめとする法体系も国を形作っていますが、それは私たちの国意識を明文化したものように思います。
近代になって国民が統合したものである国民国家ができてきましたが、国民国家には人間の人格にも似た個性があると思います。ニュースを見ていても、日本には日本という国の個性が、アメリカにはアメリカという国の個性が、中国には中国という国の個性が感じられます。日本には政治家の方などがよく用いる国体という言葉があります。狭い意味では天皇中心の政体のことを指すらしいのですが、この国体というのは、広い意味で言うと国の個性のようなものだと思います。明治初期の為政者たちはこの国体の形成に力を注いだと何かの本で読みました。
話は変わりますが、人間は三つの側面からその神性を理解することができるとウパニシャッドか何かにありました。一つは肉体。これは原子からできています。原子は宇宙全体に存在しており、原子の力は私たちが知っているとおりです。もう一つは生気=プラーナです。肉体があっても呼吸を止めたら、肉体に命はなくなります。生命の神秘は未だにベールの向こうに包まれていますが、このプラーナ=生気は命の本質に関わるものです。そして最後にアートマ=真の自己です。私たちの真の実在、世界に存在する唯一ものであるところの「私」です。
肉体は神の宿る神殿であるといわれます。国とは人々のプラーナでできあがった神の住むまた別の館であるのでしょう。
もし国がプラーナ=人々の呼吸でできているのならば、私たちが思いを良いものにすることで国のかたちも変わるように思いますし、また呼吸を整えることで国はバランスのとれた状態であり続けるように思います。
日本という国を大切にしたいですし、他の国のことも尊重していきたいです。
皆が幸せでありますように。