自己関心

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Santiago Sanchez


 普段の生活の中で、みなさんは何に関心をもっていますでしょうか? 関心をもっていることは一人ひとり異なっているかもしれませんが、ひょっとすれば、皆似たようなことに関心があるかもしれません。

 幸いにも日々の勤めはなんとか果たせており、周りから特別不平・不満を言われることもないので、自由な時間は好きなことを考えています。周囲からいろいろ要求があったり、批判があればそれに関わらなければならないのですが、そういうものから解放されているというのはありがたいことです。

 私がいま関心がもっていること。やはりこれからの人生のことです。私は病気持ちですが、すぐに命に関わるものでもないので、しっかり健康管理をすればまだまだ長生きできます。しかし体力があまりないのでやりたいことがすべてできるわけではありません。できるだけ有効に時間を使うにはどうすればいいかということをよく考えます。

 また家族のことにも関心があります。皆が良くならなくてはならないので、できることはできるだけしようと思っています。何ができるだろうかとよく考えます。

 世の中のことにも関心があります。病気の苦しみを知っているので、皆が健康であることを願います。仕事や運動、食事などの生活習慣が健康には大切なので、それらが乱れている人を見かけると心が乱れてしまいます。また、教育はすべての人が平等であるのが好ましいと思っているので、自分の親族だけでなく、地域の子どもたちのことが気になることもあります。国のことも思います。平和であり続けて欲しい、さらには世界に平和を広めてほしいと思っています。

 最近はまわりのことに随分と関心が向いていますが、以前は自分のことばかり考えていました。若い頃などはアイデンティティの確立という言葉を聞いて、「アイデンティティを確立しなくては」と焦ったりしました。また霊的なことを知るに従って、自分の思考、感情などを詳細に観察し続けることもありました。また、自分の利益についても思い悩むことがありました。

 しかしあまり自分に関心をもち続けること(自己関心)はよくないようです。体や心の調子を日々チェックするのはいいと思うのですが、自分に関するありとあらゆることに意識を向け続けていると、エゴ(私、私という意識)やプライド(私は優れているという思い)、あるいは場合によっては罪の意識や被害者意識が強まってしまうような気がします。

 私の場合は自分に向き合う時間が長かったのですが、そのような状態から解放されて随分楽になりました。身近にいるさまざまな人々、広く世の中の人々の幸福や福利に関心をもつ方が楽しく、人生を前向きに生きることができると思います。心を広げれば広げるほど自由の感覚も広がります。

 仏教では空といいます。自分に関しては空っぽであること、それは仏教で目指すところでもあるような気がします。自分が大空のように広がり、すべてを包み込むこと。仏様の慈悲はこのようなものではないでしょうか。