愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

節制

経済的にそれほど余裕があるわけではありませんので、普段から節制を心がけています。必要なものはどうしても買ってそろえなければなりませんが、必要ないものは買わないように心がけて、あるものでできるだけ代用するようにしています。

 私は自分の使うお金に関して簡単に入出金を記録しています。もう7,8年前くらい前からですが、何を無駄遣いしているか、必要なものは最低どれくらい費用がかかるかなどを押さえています。無理な節制をするとその反動で衝動買いなどをすることがあるので、ダイエットと同じで、節制も難しいなと感じています。

 もう15年くらい前に、当時はあまり使われていなかった言葉だと思うのですが、断捨離を思い切ってしました。いらないと思われるものを思い切って処分しました。ほとんどは捨てても困らなかったのですが、なかには必要なものを処分してしまって、困ったことがありました。それ以来、何年かごとに物を処分しています。

 身の回りの物を減らすと災害時などに困るとおっしゃる方がいて、確かに物が不足している時には、家にさまざまなストックがあればいいと思うのですが、私は身の回りの物を減らしてよかったと思っています。断捨離をすると、新たに買い物をする際、本当に必要かどうか見極めて買うようになります。それが必要かどうかは、どういう生活をしたいかとかかわってきます。単なる買い物ですが、生活を見直すことは私には大切なことでした。

 以前少し話題になりましたが、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という本が出版されました。図書館で借りて読んだのですが、その中に、企業は在庫が少なければ少ないほど儲かると書かれていました。このことをそれまで知りませんでした。自分の生活に応用しました。物を減らすと確かに無駄な出費が減り、貯蓄が増えました。物を大切にできるし、出費も減ったので、節制はやる価値があるなと思いました。

 台所に有り余るほどの食品があるのは、その家の人が何らかの肉体の病にかかっていることを暗示しているという人がいます。また、書棚に何千、何万もの本を置いている人は知的な病にかかっていることを暗示しているとも聞きました。私は気のせいかもしれませんが、物に影響を受けるようで、物が多いと気ぜわしく感じ、物が減ると多少気分が落ち着くようでもあります。

 節制はお金をけちることではありません。不必要な欲望を減らし、節制によって余ったお金を社会への奉仕に使うようにしています。本当は自分ですべて奉仕に使えばいいのでしょうが、それが難しいときは、寄付することもあります。私が本当に大切だと思っていることを行っている人たち、お金の使い方に無駄のない人たちに寄付するようにしています。どれくらいのお金があれば生活をやっていけるか自分でわかっているので、それ以上はあまり溜め込まないようにしています。