愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

道徳と社会

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Javier Y


道徳や倫理は21世紀科学の最前線になるという人がいますが、私は道徳・倫理に関心があるので、多くの人がそれに関心を向けてくれるとうれしくなります。

 道徳というのは、決して個人的なもんではなく、その人の関わる仲間や社会集団と大きな関係があるように思います。人は、幼い頃家族や親類との付き合いが中心ですが、長じるに連れて学校や地域社会との関わりを持ち、世界が少しずつ広がっていきます。幼い頃に道徳的・倫理的な危機に直面することはほとんどありません。人間関係が複雑になるにつれて、さまざまな葛藤や問題が生じてきます。

 インターネットの世界をのぞいていて気づくことの一つは、インターネットの世界は現実の世界に比べて政治的だということです。匿名だからかどうか知りませんが、顔を合わせている場合には言わない主張をする人たちがいます。私は実はあまり政治に関わることは好きではないので、政治的な主張をよくする人とはあまり付き合いたくないのが正直なところです。最近読んだところによると、人は、さまざまな人と付き合うようになると政治的になる傾向があるようです。現在の政治は利害調整を主にやっていますが、つまり、あまりに多くの人と付き合うことで、道徳的・倫理的な人間関係が穢され、利害によって結びついていくようになるのだと思います。

 道徳とは、彼の属する集団の行動規範なのかもしれません。無差別に人と付き合うのではなく、自分にふさわしい人とだけ付き合うようにすることで、人は道徳的であり続けることができそうです。家族、親類、近隣の人々、職場の人々、同じ霊的傾向のある人々です。自分にふさわしい人とだけ付き合うことで、必要のない葛藤や矛盾から逃れることができます。

 アインシュタインは、「あなたの付き合う人を教えてくれれば、あなたがどういう人か言い当ててみましょう。」と言いました。付き合う仲間によって人は想像以上に大きな影響を受け、道徳、倫理規範が定まります。

 パスカルは主著『パンセ』の中で、山の向こうとこちらで人々の生き方=道徳が異なると述べています。私はそれが普通のことだと思います。道徳は社会規範ですから、社会が異なれば、微妙に道徳も異なります。社会集団の形は道徳規範と深い関わりがあるでしょうし、ある社会集団が変化するときには道徳規範も変化するように思います。

 国家も道徳的である国家は安定するでしょうし、道徳基盤の脆弱な国は不穏であると思います。日本の高度成長は、日本の行動規範に合った形の経営を行ったがゆえに成功したのであり、欧米型の経営を導入してもうまくはいきません。また、政治は目先のことで、真に国を守ることはありません。

 現代は政治とコミュニティが流行っています。道徳・倫理とユニティ=一体性は目指すべきもののように思います。