愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

宗教と自己実現(realization)

イメージ 1 Lan Pham

私は宗教の領域のことについてよく考えますが、世の中にどのような宗教団体や宗教法人があるかについてはほとんど関心がありません。果たして新しい宗教団体が必要なのか、その宗教団体は本当に宗教団体なのかなど考えようと思えばいくらでも考えることができるでしょう。私はただ今ある宗教(団体)が霊的なものを取り戻してくれればいいと願っています。

宗教(religion)の目的は自己実現(realization)です。

人間の体を与えられることは、世界における最高の祝福であり、これ以上すばらしいことはないそうです。体がなければ私たちは心も理智も体験することができないとされます。何かを考えたり、識別や知性を働かせて行動しますが、その結果を体験することができます。心や理智(の結果)の体験は体があればこそです。

五つの鞘というものがあって、それは食物鞘、生気鞘、心気鞘、理智鞘、歓喜鞘です。食物鞘は肉体で、生気鞘、心気鞘、理智鞘は微細体と呼ばれるものです。歓喜鞘は原因体です。人間はこれらの五つで覆われているといわれます。

自己探求は、食物鞘に始まり、歓喜鞘へと向かいます。各人は内面を振り返って、これが肉体、これが生気、心、理智、至福(歓喜、魂)とチェックしていくことで、真の自己に到達します。宗教はこのための道を示します。

キリスト教はエゴを磔にすることを説きます。エゴがなくなれば、真の自己を体験できます。イスラム教はアラーへの全託を説きます。アラーに身を委ね、アラーの御心に従ったとき、真の自己=神であることを体験できます。仏教は八正道を説きます。感覚をすべて清らかにし、生活を浄化したとき、人間はどうなるでしょうか。人間は真の自己に従っています。神道は万物を神と見ます。すべてが神であるとき、私たちが体験するものは、唯一存在するもの=真の自己です。

人間は体をもっているときだけ、心や理智の奥にある真の自己を体験できるといわれます。これは人間の特権です。ですから、realizationは「自己実現」や「悟り」と呼ぶよりは、私は「実感」、「体験」という言葉の方が意味としてふさわしいのではないかと思うことがあります。(「自己実現」は心理学でも用いられていて、宗教での自己実現と心理学の自己実現は異なると思います。)

体験は体験です。それは気づきでもなく、信念でもなく、教義や哲学でもなく、体験です。

*"Everyone dies, but not everyone lives."-Joy Covey
「すべての人が死にます。しかし、すべての人は生きてはいません。」ージョイ・コヴィー(アマゾン元CFO

*写真は Creative Commons licenses.のものです。クレジットをつければ自由に用いることができるようですが、 Creative Commons licenses.に詳しい方がいらしたら、写真の扱いについて教えてください。