祈り

宗教には祈りは欠かせません。私には祈りの習慣がありますが、毎日繰り返していると、時に心のこもらない祈りに陥りがちです。日々生かされていることに感謝できれば、祈りの時間をすばらしいものにすることができます。

人は周りの人の影響を受けます。周囲の影響から超絶して思考を行ったり、行動することは無理ではないかと思います。ですから、付き合う仲間は大切です。もし人が人間的に成長するためには、付き合う仲間を変えることが良いでしょう。穏やかで善良なことを語り、自分の役割をきちんと果たし、他者を傷つけることがないような人を選ぶのがいいと思います。

世界には本当に人格的に優れた人がいます。私は主に本を通じてそのような人を知りましたが、そのような方々と知り合いになるのは実際には無理です。身近な範囲でいい人を探そうにも、自分をぐんと高めてくれそうな人を見つけることはなかなか困難です。そのような時に、祈りが役立ちます。

私にとって祈りは神との対話です。神の前では親密さと謙虚さの両方が必要であると聞いたことがありますが、私は神に対して少々”馴れ馴れしい”かもしれません。思っていることを何でも話します。愚痴をこぼします。あれが欲しいとかこれが欲しいということはほとんど祈りませんが、人生においてどうしたらいいか迷うことをよく聞きます。

神は全能・全知です。他の人は神をどういうものと思っているのかわかりませんが、少なくとも人間よりもレベルの高い存在であると多くの人は思っているのではないでしょうか? そのような神に語りかけることは、自分を高める行為です。神と言葉を交わすことで、気づかないうちに、自分が高められていきます。人間にとっての真の友人・仲間は神のみです。私は”馴れ馴れしく”も神と語り続けることで、人間としてのレベルを保つことができていると思っています。人間ばかりと話していれば、次第に自分が衰えていくような気がします。

正しき祈りは必ず聞き入れてくださると、私は確信しています。自分が願った形では祈りは実現しないかもしれませんが、振り返ればいつも導きがあったことに気づきます。

母親は自分の子どもから無視されるよりも、子どもから語りかけられる方を喜ぶように思いますが、神も人間から語りかけられるとうれしいのではないかという気がします。

今の課題は、自分が祈っていることを生活の中で実行することです。私は世界の平和を祈っていますが、ごくわずかでも世界の平和に寄与するような行動が取れるようにしたいです。また、「神は愛である」と讃えていますが、自分も愛の人であろうと願っています。

おまけ)”Never doubt that a small group of thoughtful, committed citizens can change the world.
 Indeed, it is the only thing that ever has." - Margaret Mead
「思慮深く、身を捧げた市民の小さなグループが世界を変えることができるということを決して疑ってはなりません。実際、それだけがかつて起こったことなのです。」―マーガレット・ミード(アメリカの文化人類学者)