聖職者、師の役割

少し前にカトリックの片柳神父に関する記事を見かけました。こちらです。 shuchi.php.co.jp 片柳弘史著『何を信じて生きるのか』(PHP研究所)の一部を再編集したもののようで、詳しくはそちらを買って読まれるのがいいでしょう。この記事の中で学生と片柳神…

文学について

私も少しばかりは文学作品を読んだことがあります。若い頃に、ある種はやりというか嗜みの一つとして、試しに読んでみようとほどほどの数の作品を読みました。私は物語の筋を追う読み方をしていて、話が楽しいかそうでないかくらいしかわかりませんでした。…

4つのグニャーナ

インドにはグニャーナ、ヴィグニャーナ、スグニャーナ、プラグニャーナという言葉があります。私は知りませんけれども、もっと多くグニャーナという言葉を含んだ複合語がある可能性はあります。私が知っているのはこの4つです。グニャーナは英知という意味で…

人間のなすべき研究は人間

アレキサンダー・ポープという方が約300年ほど前に書いた詩の中にKnow then thyself, presume not God to scan;The proper study of Mankind is Man.(次にあなた自身を知りなさい。神が見通しているのを仮定するのではなく。人間のなすべき適切な研究は人間…

帰依者のあるべき姿

霊性の道は大きく分けて3つあります。行為の道、帰依の道、英知の道です。最も簡単で最も効果があるのが帰依の道です。行為の道は自助努力によって人生を切り開いていくことや奉仕の道です。英知の道は知恵を高めて目的に達することです。人には適性があるの…

世界観を育む

世界観、歴史観、自然観。何でもそうですが、こういうものは大切です。人間にとって世界や歴史や自然というものは最初は曖昧で素朴なものです。人生を重ねていく中で熟考、考察を繰り返し、少しずつ世界とはこういうもの、歴史はこういうもの、自然はこうい…

金剛心

今日は金剛心について書きたいと思います。金剛とはダイヤモンドのことで、金剛心とはダイヤモンドのように硬い心のこととされます。私などは最初この言葉を聞いたとき何となく頑なな心のように思えましたが、しかし今日は安定した心という意味で金剛心につ…

新しい経済

今日は少しばかり経済に関して最近思ったことを書きたいと思います。経済に関してはほぼ素人でわからないことが多すぎるのですが、それでも経済の現状を疑問に思うことがたくさんあって、時々本を読んでは思索を重ねてきました。経済には30年ほど前から関心…

イニシエーション(通過儀礼)

イニシエーションという言葉があります。日本語では通過儀礼という言葉が用いられます。ウィキペディアによれば「人間が出生してから成人し、結婚などを経て死に至るまでの成長過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。」の意味だそうです。現…

社会主義

今日は社会主義について書きたいと思います。とはいっても社会主義の厳密な定義を知りません。ウィキペディアによれば、狭義には資本主義・個人主義・自由主義・私有制などの対義語であるとされます。また共産主義は社会主義に含まれているという見解もあり…

存在と記号

前々回内なる空間について触れ、そこで自己同一化に触れたエンデの言葉を紹介しました。そこでエンデは自己同一化といっていますが、心理学的に見てこれが投影とどう異なるのか厳密なところは私にはよくわかりません。もしかしたら自己同一化はそのことに対…

超越について

超越というのは人間にとって一つのテーマではないかと思います。重力に引きずられた肉体とその制限の影響を多分に受けやすい頭脳が所与の条件を超越したいという願望をもつのはある意味自然なことです。今日はこの超越に関して哲学的な方面から書いてみます。…

内なる空間

内なる世界、内面、心の中、内なる空間などさまざまに表現できますが、今日はそれにまつわることを少し書きたいと思います。 「上手な役者はペルソナとなり、仮面となります。まさに、そのことによって初めて、彼は観客に自己同一化を可能にさせるわけです。…

八正道

今日は八正道について書きたいと思います。お釈迦様の御教えの中心となるものです。ただし日本の仏教宗派においてこの八正道を生活実践の中心においているところはもしかしたら少ないかもしれません。しかしながら仏教を語る上でこの八正道は避けて通れない…

国の目的

国(country、nation)は何のためにあるのでしょうか? 私が生まれた頃から、いえ何千年も前から国というものがあるので、国の存在は人々にとって当然のようなところがあります。現代に生きる一日本人として、あくまでも個人的な印象ですが、国は構成員(主…

人生の目的2

私のブログを検索していただければわかりますが、私は部分的にですが「人生の目的」について何度も書いてきました。ただ「人生の目的」の表題のもとブログを書くのはちょうど10年ぶりです。ちょうど10年前の2012年5月30日に記事を掲載したようです。 aitasak…

一元(一体性、unity)の印

先週は「唯一者のみが存在する」と題して書きました。たぶんに私の経験の伴わない哲学が中心でした。私は知っていますが、体験のない哲学を延々と語る人はまあいます。できるだけそれは避けるように心がけてはいますが、たまにはそういうこともあります。二…

唯一者のみが存在する

少し前のブログで霊性の特性として「すべては内在する」、「出発点に戻る」を挙げましたが、今日はもう一つそれに付け加えます。それは「唯一者のみが存在する」です。これに関しては私の体験が追いついていないので半ば信念といっていいでしょう。しかし哲…

法句経

私は仏教徒で真宗門徒ですので、仏教に関しては普段真宗関係の文献を読むことがほとんどです。若い頃は仏教でもさまざまなことに関心をもってはいたものの、あまりにも広大な領域なので、結局自分の家の宗教に関する文献中心になりました。真宗の文献を読ん…

満足(contentment)

今日は満足についてです。これまで何度か自己満足(self satisfaction)について触れたことはありますが、それに似た目の前、自分を取り巻く状況への満足(contentment、満たされていること)については初めて書くかもしれません。満足は欲望と対比すること…

出発点に戻る

霊性の特徴の一つは「すべては内にある」ことと何度か触れましたが、今日はもう一つの霊性の特徴について触れたいと思います。それは「出発点に戻る」ということです。アルファベットにOとCがあります。Oを書くときは書き始めと書き終わりが一致します。Cを…

霊性修行2

霊性修行については10回以上このブログで触れたことがあります。インドの言葉でサーダナともいいます。霊性に焦点をあたえた行のことで、瞑想や称名、礼拝、奉仕、祈り、霊的文献の学習などがそれにあたります。いわゆる修行の意味に近いと思います。その目…

思惟

先週はエデュケアつまり内から引き出すことについて触れました。今週は内から引き出すテクニックといっていいのでしょうか、それにまつわることを少し書こうと思います。 浄土真宗では正信偈という親鸞聖人が記された詩を拝読することが多くあります。これは…

エデュケアとエデュケーション

検索していただければわかりますが、エデュケアについてはこのブログで3回ふれたことがあります。エデュケアはサティヤ・サイババが強調した概念です。さまざまな定義ができるのでしょうが、わかりやすくいえば「内から引き出すこと」です。先週書きました…

意識の考古学

大層な表題を付けてしまいました。私はかつて児童文学あるいはファンタジー文学に興味を持っていた時期があり、よく読んだ作家の一人にミヒャエル・エンデがいます。彼の配偶者は日本人で日本と縁の深かった方です。このエンデの書いた本に『闇の考古学』と…

プラナヴァ(オーム)2

1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起こりました。その日から約27年経ちました。月日が経つのは早いものです。しかしながらこの事件をはじめオーム真理教が残した傷跡はまだ残っています。もちろん被害者の方々の心の傷はなかなかいえるものではないでしょう…

Value your gifts(贈り物に価値を与える)

表題である「Value your gifts(贈り物に価値を与える)」は私の師の言葉か師の御教えに従っている人の言葉か忘れましたが、師にまつわる文献を読んでいて目にした言葉です。私たちは多くの贈り物を得ていますが、それらに価値を与えなさいということです。 …

ダルマの要素

インドには特有の言葉が多くあります。その一つにダルマがあります。ダルマはダルマとしか表しづらいので英語の単語にもなっているようですが、あえてそれを日本語にするならば、正しい行い、人としての本分、正義のような意味です。日本では仏法といいます…

神に面倒を見ていただくための条件2

以前「神に面倒を見ていただくための条件」という題で記事を書いたことがあります。 aitasaka.hatenablog.com 帰依者がどのような条件を満たせば神は帰依者の面倒をすべて見てくださるのかということに関してです。ごく大雑把にいえば、常に神を思い、神への…

サティヤサイオーガニゼーション

今日はサティヤサイオーガニゼーションについて少し触れたいと思います。サイババに関心のある方は知っているかもしれませんが、そうでない方は知らないのではないかと思います。サティヤサイオーガニゼーションのサイトを見ていただければどういう団体かわ…