林住期

私のブログを「林住期」で検索すると6つ記事が出てきます。それらはインドからの留学生から聞いた話がベースとなっていて、それに日本の実情、私の置かれている状況などを考慮して書いたものです。なので厳密にいえば、インドの太古からの考え方と異なるとこ…

全託7

定期的に全託について書きたくなります。私にとって一つの大きなテーマです。今日はある文章を読んでいて、少しばかり全託に関する理解が深まったような気がしましたので、それについて書きたいと思います。 when we try to understand the meaning of the w…

AIと車

AIの活用が進んでいるようです。様々な領域でAIの話題を聞くようになりました。世間の耳目を集める大きなきっかけとなったのはAIが囲碁の世界チャンピオンを破ったことでしょう。それ以後AIの一層の開発が進められています。最近ではchatGPAのことをよく聞き…

拡大が人生

先週はBroad mind is life, narrow mind is death.について書きました。mindは狭いよりは広いほうがいいと思います。mindが広がれば世界を見る目も変わります。より平安で幸せになることと思います。一方でmindが狭いと生きて行くのに窮屈でしょう。たとえば…

mind(心、思考、視野)を広げる

次のような言葉が気を引きました。 Broad mind is life, narrow mind is death. Mind can be broadened only through divine contemplation. (1999.4.15) (Sathya Sai Baba)(広い心は命・人生で、狭い心は死です。心は神性・神を黙想することを通じてのみ広…

身について

英語やサンスクリット語に触れていると日本語にない概念に出くわすことがあります。日本語では見かけない概念に触れると、そこから思わぬ発想が湧いてくることがあります。他国の人とコミュニケーションをするという第一義的な目的でなくても、こういう日本…

オーム ナモー ナーラーヤナーヤ

今日は一つの御名について書いてみます。その御名は「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」です。その前に少し触れておきますが、日本人のほとんどの人は御名というものにあまり関心がないでしょう。もしかしたら単なる音の羅列に何の意味があるのかと考えてい…

人生の意味

今日は人生の意味について書いてみます。人生の意味について私は若い頃を含めあまり考えてきませんでした。目の前の課題に取り組み、乗り越えることに一生懸命でした。もしかしたらですが、人生の意味について考える人は裕福で余裕のある生活をしているケー…

色メガネを外す方法

先週「この心によって形成された世界は色メガネを通してみたブラフマンの姿ともいえるでしょう。さて私の知っている人はこの色メガネがどうしてもはずれないと困惑していました。目に生じた白内障を改善するには手術によって濁りを取り除かなければならない…

正見2

前年度上皇陛下のお誕生日の際に宮内庁のサイトを見てみると、上皇陛下と上皇后陛下が毎朝音読をするのを習慣にされているとありました。次のようにあります。「東宮時代からこれまでにモンテーニュの「随想録」、パスカルの「パンセ」、堀辰雄の「大和路・…

語れるものと語り得ないもの

今日は語れるものと語り得ないものについて思うことを書いてみます。語り得ないものというと、有名なのはヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」という言葉です。これは彼の『論理哲学論考』の最後の言葉のようです。この…

リアルなものとしての神

インドにはリアリティ(現実、リアルなもの)をブラフマンと受け取る人がいるようです。私はこの受け取り方に基本的に賛成です。私は幼い頃から汎神論的でして、神は遍在で、すべては神であると受け取るのに抵抗はありませんでした。これまでの人生でリアル…

超越者(神)は人間の思いに対応する

先週の記事の中で、「親=神はえこひいきをするのかといわれそうですが、あくまでも私の数十年間にわたる実感ですが、神には自分が神が求める通りに振る舞ってくださる傾向があるのではないかとそう思うわけです。当然それに応じたある種の振る舞いが普段か…

今年の目標2023

明けましておめでとうございます。私のブログを読んでくださる方々に感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いします。できるだけ私なりにある程度質を伴ったものを書いていければいいなと思っているところです。私の理解が浅かったり、わかりにくい文…

今年の目標の振り返り

今年も残り10日あまりとなりました。時間が過ぎ去るのはあっという間です。少し前に12月になったばかりだと思っていたら、もう3週間ほど経っています。時間を無駄にするのは簡単ですが、有効に使うのはなかなか大変です。 さて、この記事が今年最後の記事に…

御名と御教え

誠に勝手ながら、今年のブログは12月13日と20日で終わりにしたいと思います。20日は今年一年の目標を振り返りたいので、13日の今日が実質的に最後の記事となります。 人生は旅にたとえられます。生まれて何年か経って何故かこの世にいることに気づき、そこか…

御名を伝えることについて

私はあまり布教というものに関心はありませんが、しかし優れた存在は人に知られていいと思っていますし、ごく少数の人にとっては優れた存在を知ることで人生が大きく変わりうることも知っています。私にとってはサイババがそういう存在です。そのサイババは…

お釈迦様について

私は仏教に関心があります。仏教徒です。しかしもともとは仏教に関心があるというよりはお釈迦様という一人の存在に関心があったように思います。昔のことははっきりと覚えていませんが、お経に価値があるのはお釈迦様が説かれた言葉だからで、お釈迦様が素…

欲望に上限をもうけることに関して

私は今年はよく寝る前に布団の中でSanathana Sarathi(サナタナサラティ)という雑誌を読んでいます。サイババの御講話や帰依者の方々の体験談などが載っている雑誌です。英語ですが、分からない単語があれば辞書を引いています。こういう雑誌はたくさん量を…

人間的価値2

これまで人間的価値について少しだけ触れたことがあります。これまで人間的価値について、1.人間の構成要素に価値を与えること。2.道徳、倫理、霊性。3.人間が人間であること。であると私は定義してきました。英語ではhuman valuesです(サイババが多用する…

憐れみについて

今日は憐れみについて書いてみたいと思います。とはいっても考えがまとまっているわけではなく、随想のようなものになると思います。 なぜ憐れみについて書いてみようと思ったかといえば、私には怒りという欠点があるのですが、しかし人によっては怒ることが…

カルマの引き継ぎ

私を真宗にいざなったのは妙好人たちであり、妙好人を最もよく私に紹介してくださったのは、民藝運動で有名な柳宗悦氏でした。何冊か柳宗悦氏の著書を手に取ったのですが、その中でおすすめなのが『柳宗悦 妙好人論集』(岩波文庫)です。禅に関する本を読む…

愛と奉仕

先週は愛も無属性のものを指し示す言葉の一つではないかと述べました。この愛についてもう少しばかり触れておきたいと思います。先週も書きましたが、愛は誰かあるいは何かに向けられると愛の普遍性が制限されます。たまにならばそれもいいでしょう。しかし…

無属性なるもの

もう4年半ほど前になりますが、「I am I.(私は私)」という題で記事を書いたことがあります。 aitasaka.hatenablog.com 私Iとは本来属性が与えられる以前の無属性のものであるということについてです。今もこの通りだと思っています。今日はさらにこの見解…

サマディ(三昧)

先週シャンカラーチャーリヤの詩(よき仲間は無執着へと導き、無執着は人を迷妄から解放し、迷妄からの解放は心の着実さへと導く。そして心の着実さは人に解脱を与える。)について触れました。今日はこの詩の後半部分に少し焦点を当てて書いてみたいと思い…

よき仲間とソリチュード(無執着)

宗教と個人のありように関してもう少し書いておきたいと思います。こちらのサイババのご講話の4ページ目に次のような詩があります。 https://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume39/sss39-12.pdf Satsangatwe nissangathwam, Nissangatwe nirmohathwam, Nirmoha…

宗教の目的

今週は宗教の目的についてです。先週は宗教の枠を出ていかなくてはならないのではないかと述べましたが、私にとって宗教は目的ではなく、ある目的を達成するための手段であるからです。インドや他の国では、大きな葉っぱの上に食事を載せ、食事が終わるとそ…

宗教の枠を出る

先週は聖職者や師の役割に関して自分が思っていることを書きましたが、ポイントは聖職者や師が信者や弟子と神仏との間の関係のじゃまになってはいけないということでした。今日はそれに関連して、視点の異なることを書きます。 よくはわかりませんが、聖職者…

聖職者、師の役割

少し前にカトリックの片柳神父に関する記事を見かけました。こちらです。 shuchi.php.co.jp 片柳弘史著『何を信じて生きるのか』(PHP研究所)の一部を再編集したもののようで、詳しくはそちらを買って読まれるのがいいでしょう。この記事の中で学生と片柳神…

文学について

私も少しばかりは文学作品を読んだことがあります。若い頃に、ある種はやりというか嗜みの一つとして、試しに読んでみようとほどほどの数の作品を読みました。私は物語の筋を追う読み方をしていて、話が楽しいかそうでないかくらいしかわかりませんでした。…